○○○○記念日

　鈍色（にびいろ）の雲の隙間から、ぽっかりと日が顔をのぞかせると、眩いばかりの光が地上に降り注がれる。
　白い粉雪の帽子をかぶった街路樹。
　小さな都会の雑踏を他所に道路のすみっこにひっそりと佇む雪だるま。
　いつもと変わらない平凡な景色、と言ってしまえばそれまでかもしれない。
　でも、その景色は日によって、場所によって、気分によって様変わりをしていく。
　どれひとつとして同じ景色というのは存在しない。
　まるで人の心みたい……
　時々、公園のベンチに座りながらスケッチをしていると、ふとそう思うことがある。
　悲しい景色。
　せつない景色。
　楽しい景色。
　嬉しい景色。
　いつも見慣れてる景色のはずなのに……なんだか不思議な感じがする。
　今日の景色は、なんだかちょっぴり悲しい。
　今年ももうすぐ冬が終わる。
　そうすれば雪が溶け、大地から新たな生命の息吹が芽生え、公園の樹々にも青々とした葉が生い茂ることになる。
　でもそれは、雪化粧を施されたこの景色を眺めることが出来なくなる、ということを意味している。
　だからやっぱり寂しい。
　だけど、ちょっぴり楽しい景色だったりもする。
　だって、そろそろあの子がやってくるころだから。
　ぱたぱたぱた
　あっ、あの足音は。
　私は急いでスケッチブックを持つと、鉛筆を握る。
　特定の曜日、この時間帯になると決まって聞えてくるあの足音。
　それは平穏静寂なこの公園に、騒動をもたらしてくれる。
　でも私は怒る気にはなれない。
　だって見ていて、楽しいから。
「うぐぅ〜！！」
　とってもあったかそうなダッフルコートを着て、カワイイ天使の羽がついたリュックをしょって、かわいいカチューシャをつけた長い髪を揺らしながら、その子は今日もやってきた。
　いつものように、まるで何かから逃げるように、必死な形相で全力疾走している。
　そして、噴水の前で立ち止まると、肩で息をしながら後ろを振りかえる。
　誰も追ってこないことを確認すると、ホッと安心したような表情を見せた。
　私はそんな彼女の姿をスケッチする。
　もうこれで何度目だろう？
　あの子の姿をスケッチするのは。
　この前は追いかけられて逃げ惑う姿だった。
　その前はくわえていたタイヤキをポロリと落としてとても悲しそうにしている姿だった。
　あの子の姿はいつ見ていても、飽きることはない。
　だってあの子の表情は、どんな時でも輝いているから。
　カリカリカリカリ
　だから私は、あの子の彼女の姿をじっと見つめながら、スケッチブックにペンを走らせる。
「……………………」
「……うぐぅ？」
　私の様子が気になったのか、あの子がパタパタとかけよってきた。
「なに描いてるの？」
「……………………」
「うぐぅ……」
「……………………」
「……………………」
「……できました！」
　私はペンを止めると、出来あがったばかりの絵をその子に見せた。
「『マラソンをする少女』です」
「うぐぅ？マラソン？」
　その子は私の言葉を聞いて、小首をかしげた。
「……誰、これ？オバケかなにか？」
「ひ、ヒドイです！！」
　私はその言葉にかなりショックを受ける。
　そりゃ、私は絵はあまりうまくないというのは自分でもわかっている。
　だからってこんなにはっきり言わなくっても……
「だ、だって……本当に、わからないんだもん。コレ、誰なの？」
　その子は困ったように、尋ねてきた。
「誰……って、もちろん、あなたですよ。月宮あゆさん」
　私はニッコリ微笑んで、答える。
「えっ！？なんでボクの名前知ってるの！？」
　その子は驚いたように、目を丸くした。
「祐一さんから聞きましたから」
「祐一君から？……っていうことは、祐一君の知り合いなんだ」
「はい。あゆさんとこうしてお話するのも２回目になりますね」
「うぐぅ？そうだっけ？」
　あゆさんは口元に手を当てながら空を見上げてしきりに何かを思い出そうとしているようだった。
「ほら、覚えてませんか？祐一さんがあゆさんの突進を避けて、あゆさんが木にぶつかった時のことですよ」
「あっ！！」
　あゆさんは大きな声をあげて私を見た。
「あの時の！」
「はい。その節は大変面白いものを見せていただきまして」
「うぐぅ！！おもしろくなんかないもん！！」
「冗談です」
　私がクスッと笑うとあゆさんはぶうっと頬を膨らませる。
　その仕草がなんともかわいらしい。
「そっか。あの時の。あの時はちゃんと話せなかったから、マトモに話すのって今回が初めてだよね。えっと……」
「美坂栞です」
「栞ちゃんっていうんだ？よろしくね」
「はい。こちらこそ」
　私も軽く頭を下げる。
　祐一さんに聞いていたとおり、あゆさんはちょっとそそっかしいけどとっても優しい人のようだ。
　……なんだかちょっと羨ましい。
「栞ちゃんは、毎日ここでスケッチしてるの？」
「いつも……ってわけじゃないですけど。よくスケッチしてますよ。今日の戦利品はそれですか？」
「えっ？」
　私があゆさんのもってる紙袋を指差すと、あゆさんは慌ててそれを後ろに隠した。
「あ、あはは。ヤダなぁ。今日はタイヤキ記念日だから、ただで貰ってきたんだよ」
「食い逃げ記念日、の間違いじゃないんですか？」
「ち、違うもん！！たまたまカウンターの上に焼き立てのタイヤキが袋に入って落ちてたから、拾ってきただけだもん！！」
「それって……立派な食い逃げだとおもうんですけど？」
「うぐぅ……栞ちゃんって、祐一君みたいなこというんだ？」
「えっ？」
　私はその言葉にドキっとする。
　祐一さんの名前を出されるたび……心臓の鼓動が激しくなって……胸がしめつけられるような気分になって……
　病気のせい？ううん……違う。これはきっと……
「そ、そんなことないですよ。私は思ったことを口に出しただけですから」
「ふぅん？そうなんだ？じゃあはい、これ」
　あゆさんは紙袋を隠すのをやめると、中からタイヤキをひとつ取り出して私に手渡した。そして自分も私の横に腰かける。
「これで栞ちゃんも共犯だね」
「違いますよ？私、まだ食べてませんから」
「うぐぅ……」
「……クスッ」
　私は笑うと、そのタイヤキを一口、口の中へといれた。
「共犯成立だね」
　あゆさんも微笑みながらおいしそうにタイヤキをほおばる。
「やっぱりタイヤキは焼きたてに限るよ。冬にはタイヤキが１番だよ」
「いいえ。アイスです」
　私はきっぱり反論を唱える。
「アイス？冬に？」
「はい。アイスはこの世で１番、おいしい食べ物だと思います」
「うぐぅ！！タイヤキのほうがおいしいよ！！」
　あゆさんも一歩も引かない。自分の主張を強く唱えてくる。
「タイヤキっていったら、タイヤキだもんっ！！」
「アイスです！！」
「タイヤキ！！」
「アイス！！」
　あゆさんと私の間に、ちょっとだけ険悪な雰囲気が漂う。
　でもすぐに、それはおさまった。
「じゃあ、タイヤキとアイスを合体させて、タイヤキアイスにすれば完璧だね」
「はい」
　そして、私達は笑顔になる。
　祐一さん以外の人と一緒でこんなに楽しいのって、どれくらいぶりだろう。
　やっぱりいいな、こーゆーのって。
「あっ、ボクもうそろそろ行かなくっちゃ」
　突然あゆさんは、何かを思い出した様にすくっと立ち上がった。
「なにか用でもあるんですか？」
「うん！大事な用があったことを忘れてたよ」
　あゆさんはエヘヘっと笑うと私に手を振りながら駆け出した。
「今度はゆっくりお話しようね。あと、ボクそんなオバケみたいな顔じゃないから〜！」
「そんなこという人、嫌いです！」
　私は笑いながらそう返事を返し、手をふった。
　あゆさんがいなくなると、公園は再び平穏さを取り戻した。
「いっちゃった……」
　私は手を振るのをやめると空を見上げた。
　いつのまにか先ほどまでおおっていた灰色の雲はなくなり、すっきりした青空が広がっている。
「奇跡……かぁ」
　この世に奇跡なんて存在しない。
　私はそう思っていた。
　でも……いまなら……いまだったらその『奇跡』という存在を信じてもいいような気がした。