お気楽極楽中華丼

「きゃあああああああああああああああああああ！！」
　静まり返った基地内に、突如耳をつんざくような金切り声の悲鳴が響きわたった。
「な、なんだなんだ！？」
「何事ですの！？」
「何かあったんですか！？」
「……………………」
　その悲鳴を聞き、眠りから半ば強制的に目覚めさせられたエンジェル隊の隊員達が、パジャマ姿のまま慌てて自分の部屋から飛び出してくる。
　そしてその発生源と思われる場所へと駆けつけた。
「一体どうしたんだ！？蘭花！！」
　先頭のフォルテがその悲鳴の発生源、蘭花の部屋のドアを開けて、４人が部屋の中へとなだれ込む。
「あっ、み、みんな！！」
　ベッドのすぐそばで青い顔をして座り込んでいた蘭花が、４人の姿を見るや否や、慌てて顔を上げる。
「ご、ごめんなさい。ちょっと怖い夢見ちゃって」
「はぁ？怖い夢だぁ？」
「そ、そう！！この世の現実とは思えない、とっても怖い悪夢を見ちゃって、それでね」
　蘭花は大量の汗を浮かべながら無理に笑顔を作って必死で弁解する。
「……ったく、人騒がせなヤツだな」
「ホントですわ。たかが夢ぐらいで悲鳴を上げるなんて」
「でも、何事もなくてよかったですね」
「神のご加護があらんことを……」
　４人は口々に文句を言いながら、蘭花の部屋を後にする。
「あはははは……ごめんなさーい……」
　苦笑しながら手を振っていた蘭花は４人が部屋を出て行くのを見届けると、急いでドアのロックをかけた。
　そしてキョロキョロと挙動不審な様子で辺りを注意深く窺うと、ベッドの下からヘルスメーターを取り出す。
（そうよ……アレは悪夢だったんだわ。だからきっと……）
　祈るような気持ちで、そっと足を乗せる。
　しかし、またしても蘭花は厳しい現実を突きつけられることになった。
（ウソでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ！？）
　流石に声を出すわけにもいかず、心の中で悲痛な叫び声をあげる。
「どうして……どうして……」
　蘭花は崩れ落ちるように、へなへなと力なく床へと座り込んだ。
（何がいけなかったんだろう……確かに最近食べすぎだったような気はしてたけど……）
　蘭花は心の中で自問自答を繰り返す。しかし、あまりにも思い当たることが多すぎたので、彼女は考えるのを途中でやめた。
（とりあえず、明日からダイエットしないと！）
　蘭花は天井を見上げると、グッと拳を握り締めて、そう心に固く誓うのであった。

　翌日、蘭花はデスクワークに勤しんでいた。
　他の隊員達は出払っており、広い部屋の中で一人黙々と手際よく書類を片付けていく。
　そして、ちょうどお昼の時間になった。
「ふぅ……」
　ペンを置き、憂鬱な気分になりながら、蘭花は自分のお昼を机の上に乗せた。
　今日のお昼は量がかなり少なめのサラダだ。
　到底満足できる量ではないが、増えすぎてしまった体重を減らすためには多少の無理は仕方ない。
「じっくり味わって食べよっと……」
　蘭花はフォークを手にとり、両手を合わせて軽くお辞儀をした。
「おっ？昼飯か？蘭花」
　その時、パトロールから戻ってきたフォルテが部屋の中へと入ってきた。
「え、ええ……」
「それじゃあ、あたしもいっしょさせて貰うかな」
　フォルテは口笛を吹きながら、蘭花の隣に座って自分の昼食をテーブルの上に置く。
「いっ！？」
　それを見た蘭花は、目を丸くせずにはいられなかった。
　無理もない。
　フォルテが机の上に置いたのは、３〜４人前はあると思われる握り寿司の入った丸い容器だったのだ。
　しかも、それが三段も重ねられている。
「ど、どうしたんですかフォルテさん！？こんな高そうなもの！？」
　蘭花の口から、至極当然な質問が発せられた。
「いやぁ、それがパトロールの途中で海で溺れてる子供を助けてさ、そしたらその子供のオヤジさんが寿司職人で、あたしがいいっていうのに、遠慮するなって、持たされたんだ」
　フォルテは緩みっぱなしの表情で嬉しそうに答え、重ねられていた容器を手際よくテーブルにならべる。
「でも、流石にあたし一人じゃ食えないからな。たまにはみんなにも分けてやろうと思って。蘭花、食べるか？」
「ええっ！？いいんですか！？」
　蘭花は目を輝かせながら寿司を見た。
　イクラ、アワビ、ウニ、大トロ……全てのネタが光っていて、新鮮そのものだということがわかる。
　しかもネタ自体もかなり厚く、脂ものっている。
　見ているだけで口の中からよだれが湧いてきた。
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えて……」
　蘭花は手を伸ばし中トロをとろうとしたが、その途端『体重』という単語が脳裏をよぎった。
「ご、ごめんなさい！！アタシ、今日は食欲がないんで……」
　蘭花は慌てて手を引っ込めると、寿司から視線をそらす。
「なんだ？蘭花が食欲ないなんて……珍しいこともあるんだな？」
「え、ええ……」
　蘭花は力なく笑う。
（ああ、食べたい！食べたい！！でも我慢しなくちゃ……！！）
　しかし心の中では嘆いていた。
「あっ、みなさん、お食事中ですか？」
　そこへ、今度はミントが入ってくる。
「おう、ミント！お前も一緒に……って、なんだぁ！？」
　ミントに声をかけたフォルテが素っ頓狂な声を上げた。
「えっ……あっ！？」
　蘭花もミントを見て、同じく驚きの声を上げる。
　ミントはコックの格好をした男を連れていた。そのコックはやたらと大きいワゴンを引いている。しかもそのワゴンの上には、小金色に輝く北京ダックがのせられていた。
「それじゃあ、私もご一緒させていただきますわ」
　ミントはすました表情で蘭花の隣に座った。
　すると、コックがワゴンの上にのっている北京ダックを切り分けて、皿の上に乗せると三人の前へと並べた。
「ミ、ミント、これは一体……」
「実は、お父様が私がお腹をすかしてるといけないということで、北京ダックを専属コックと一緒に贈って来てくださったんですのよ」
　フォルテの言葉に、ミントは耳をピクピク動かしながら、うつむき加減に恥ずかしそうに話す。
「もうお父様ったら、私いつまでも子供じゃないのに……」
「は、はぁ……」
「さあフォルテさん、蘭花さん。ゆっくりじっくり味わって食べてくださいな。遠慮はいりませんですのよ？これくらい、ブラマンシュ家の財力を持ってすれば造作もないことですから。オーッホホホホホホホホホ！！」
「ま、まぁ……そーゆーことなら、遠慮なくもらうが……」
　フォルテは苦笑しながらも、北京ダックをおいしそうに食べる。
　しかし、対照的に蘭花は身体を小刻みに震わせるだけで、口をつけようとしなかった。
「どうしたんですの蘭花さん？お食べにならないんですの？」
　その様子を不思議に思ったミントが、物珍しそうに蘭花を見る。
「遠慮なんかいりませんのよ？さぁ、さぁ」
「ご、ゴメン……アタシ、食欲がないから……」
「な、なんですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ！？」
　ミントはまるでこの世の終わりが来たのを垣間見てしまった、というくらい大袈裟に驚いた。
「蘭花さん、気は確かですの！？落ちてるアンパンを拾って食べるくらい、食欲にかけては人一倍食い意地が張ってるあなたが、食欲がないだなんて！！」
「アタシそんなに卑しい人間じゃないわよ……失礼ね……」
　蘭花はぶっきらぼうに答えて、顔を伏せる。
　しかし、心の中では葛藤と戦っていた。
（あー！！食べたい食べたい！！北京ダックなんて滅多に口にできるものじゃないし！！でも……あーもう！！）
「おいおい、蘭花本当に大丈夫か？一度ヴァニラに見てもらった方が……」
「ほ、本当に大丈夫ですから。フォルテさん、気にしないでください」
「そうは言われましてもねぇ……あっ、ヴァニラさん」
「ちょうどいいところに……おっ」
　ミントとフォルテが、タイミングよく戻ってきたヴァニラを見つけ、嬉しそうな声を上げた。
「どうしたんですか二人とも……げっ！」
　蘭花もヴァニラを見て、二人とは対照的に小さく悲鳴を上げる。
　ヴァニラはどこで取ってきたのか、キノコを籠いっぱいに入れていた。
「すごい大量じゃないか。どうしたんだそれ？」
「パトロール中に見つけた」
「それって松茸ですわよね？よくそんなに自生してましたわね」
「神のお導きがあったから……」
　ヴァニラはボソボソと話す。
「いやぁ、ひっさしぶりに豪華な食事になりそうだな。今日は」
「ええ。そうですわね」
　フォルテとミントの表情はとても嬉々としたものになっていた。
　逆に蘭花は、ますます表情を曇らせる。
（どうしてこんなときに限ってこーゆー豪勢なものになるのよ！！）
　蘭花は心の奥底で恨み節を呟かずにはいられなかった。
　そんな蘭花の心を知ってか知らずしてか、フォルテが心配そうな面持ちで蘭花に話しかける。
「おい蘭花、本当に食べないのか？」
「え、ええ……」
　蘭花は苦笑しながら頷いた。もちろん、心の中では真逆のことを叫ぶ。
（ホントはアタシだって食べたいわよ！！でもそれだと、ダイエットにならないじゃない！！）
　そしてさりげなく横を向いた。ミントと視線があってしまう。
　するとミントは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
　途端に蘭花は、背中を悪寒が駆け巡っていくのを感じた。
「な、何よミント」
「蘭花さん、ダイエット中なんですか。でも無理はよくありませんことよ？」
「なっ！！」
　思いがけないミントの言葉に蘭花は凍りついた。
　一番知られたくないことを知られてしまったのだから無理もない。
　蘭花は鬼のような形相でミントをキッと睨んだ。
「ちょっとミント！！テレパスでアタシの心読まないでよ！！もぅサイテー！！」
「へぇ……ダイエット中なんだ……」
　フォルテも意味深な言葉を発し、不敵な笑みを浮かべる。
「でもミントの言うように、無理はよくないよなぁ？こうなったら意地でも食べさせてやらないと。なぁミント？」
「はい。フォルテさんのおっしゃる通りですわ。ここはひとつ、蘭花さんに食べさせまくって子豚にしてみるのも面白いかと……」
「じょ、冗談じゃないわよ！！だーれが食べるもんですか！！」
　蘭花はテーブルをダンとたたき、席を立ち上がった。
　途端に芳しい芳香が蘭花の鼻をつき、空腹感を増大させる。
「オオ！ヴァニラナイス！！」
「ヴァニラさん、流石ですわ！！」
　フォルテとミントは、七厘を使って松茸を焼いているヴァニラを褒め称えた。
「食べ物無駄にすること、よくない」
　ヴァニラはわざわざ香りが蘭花に届くようにと、うちわであおぐ。
「エ、エヘヘ……おいしそう……」
　蘭花の目はトロンとなり、お腹の虫はなりっぱなしの状態であった。
「さあ蘭花、食べるんだ」
「蘭花さん、無理はよくないですわよ？」
「……………………」
　フォルテとミント、それにヴァニラはそれぞれ寿司、北京ダック、松茸を差し出す。
「す、少しくらいならいいかな……」
　甘い誘惑が、蘭花の背中を激しく押す。
（そうよ……ちょっとくらいなら……って、ダメダメ！！それじゃあ同じことの繰り返しじゃない！！）
　しかし蘭花は最後の気力を振り絞ってクビを強く振ると、吐き出すように叫んだ。
「アタシ、絶対食べませんから！！」
　そして大きく深呼吸をする。不思議と空腹感が満たされていくような気がした。
「蘭花……そこまで決意が固いのか……」
「なら、仕方ありませんわね……」
　フォルテとミントはガックリと肩をおとし、力なく座る。
（勝った！！アタシ、勝ったのよ！！）
　蘭花は心の中で勝利の雄叫びをあげ、力強くガッツポーズを作った。
「あれぇ？皆さんどうかなさったんですか？」
　そこへ、ミルフィーユが現れ、不思議そうにその光景を眺める。
「ミルフィーユ！！アタシ、やったのよ！！誘惑に打ち勝ったのよ！！」
　嬉しさのあまり蘭花はミルフィーユに駆け寄って抱きついた。
「え、えっと、よくわからないんですけど、おめでとうです蘭花さん」
　ミルフィーユはそんな親友の歓喜をまるで自分のことのように喜ぶ。
「はい蘭花さん。これ、ご褒美のタルトです」
　そしてミルフィーユは近くに止めてあったワゴンから嬉しそうに焼きたてのタルトを手に取った。
「ありがとミルフィーユ。遠慮なくいただくわね」
　蘭花はそれを受け取って、おいしそうにほおばる。
「うんうん。とってもおいしいわよミルフィーユ」
「でしょでしょ？たっぷりバターと砂糖を使っちゃいましたから」
「そうなの？たっぷりとバターと砂糖をね……」
　おいしそうに食べていた蘭花の動きがピタリと止まった。
「どうしたんですか蘭花さん？」
「ミルフィーユ！！アンタ、なんてことしてくれたのよー！！」
「え？え？」
「アンタって人は……アンタって人はぁぁぁぁぁっ！！」
　蘭花はタルトを全部口の中に入れると、ミルフィーユのほっぺたをつねってギューっと伸ばした。
「い、痛いですよ蘭花さん！！何するんですか！！」
「絶対許さないんだからー！！」
　泣き叫ぶミルフィーユなどお構いナシに、蘭花は怒りの矛先をぶつける。
「いやぁ、蘭花。残念だったな」
「そうですわね。お菓子はダイエットの最大の敵ですものね」
　フォルテとミントの二人は、まるで悪魔のような笑いを浮かべる。
　すると蘭花は、ミルフィーユのほっぺたをつねるのをやめて、無言のまま先ほど座っていた場所へと戻った。
　そして、フォルテの寿司とミントの北京ダックをガツガツと食べ始める。
「あー！！あたしの寿司！！」
「私の北京ダック！！」
　それを見たフォルテとミントの表情が真っ青になる。
「へへーン！！早い者勝ですよーだ！！」
「こ、こら蘭花！！お前食べないんじゃなかったのか！！」
「そうですわ！！人の料理に手を出すなんて、なんて卑しいんでしょう！！」
「さっきはさっき、今は今！！こーなったら全部食べてやるんだから！！」
　蘭花は食べるスピードを上げる。
「くそぅ！！蘭葉に負けてたまるか！！」
「私だって！！」
　負けじとフォルテとミントも争奪戦に加わる。
「あっ、わたしの分も残しておいてくださいよー！！」
「……………………」
　そしてミルフィーユとヴァニラもこの争奪戦に加わったため、闘いは一気に激化することになった。
　お互いにそれぞれの料理を奪い合う。もはや先ほどの平和で友好的な雰囲気はひとかけらもなく、完全に戦場と化していた。
（ああ……幸せ……）
　そんな中で蘭花は料理を食べることの喜びを、心底かみしめていた。

　そして……
　蘭花の悲鳴が再び基地内にこだまするのに、そう時間はかからなかった。