ミモリのチョコレート大作戦

「アーオちゃん」
　気がつくと、アオイの目の前にミモリが立っていた。
「ミモリ……？」
　アオイは彼女の名前を呼び、首を傾げる。
　ミモリが目の前にいるのは、いつものことなのでさして驚くこともない。
　だがそれが、いつものことじゃないとしたら――
「どうしたのアオちゃん？変な顔しちゃって」
　ミモリは不思議そうに、アオイの顔を見つめる。
「あ、ううん。なんでもない」
　アオイはとりあえず愛想笑いをして、頭の中で考えをまとめた。
　青い海。白い砂浜。そして水着姿のミモリ。
　露出している肌は小麦色に焼け、あの珠肌のような白さは全く消えていた。
　無理も無い。入道雲の浮かぶ青空に燦々と輝く灼熱の太陽が、ジリジリと肌を焦がしていくのだから。
（そういえば……俺はミモリと海に来てたんだっけ……）
　アオイは何故ここに自分がいるのかと言うことをようやく思い出し、軽く溜息をついた。
「あー、溜息。アオちゃんそんなにあたしといるのがつまらない？」
　するとミモリは頬をプウッと膨らませ、アオイに非難の眼差しをむけた。
「バ、バカ言うなよ。お前といて楽しくないわけ無いだろ？」
　アオイは慌てて弁解をする。
　するとミモリの顔がほころんだ。
「そう？よかった……」
　にっこりと微笑む姿に、アオイの心臓がバクバクと高鳴っていく。
（ミモリってこんなにかわいかったっけ……）
「ねぇ、アオちゃん……」
　ミモリは急にモジモジしながら、上目遣いでアオイをチラッチラッと見た。
「アオちゃんに、受け取って欲しいものがあるんだけど……」
「俺に？」
「うん……」
　ミモリは小さく頷くと、おずおずと小さな箱を両手で差し出した。
「これ……アオちゃんのために一生懸命作ったから……」
「ミモリ……」
　アオイは心臓を高鳴らせながら、その小箱を差し出す少女を眺める。
　コートにマフラーを巻いたミモリの瞳は潤んでいて、頬がほんのり朱色に染まっていた。
　いつの間にかチラチラと振り出した小雪が、ミモリの髪や肩、箱の上にかかっていく。
　アオイはミモリの差し出した小箱を、大切そうに受け取った。
「ありがとうミモリ……俺、とっても嬉しいよ」
　白い小さなその箱には、赤いリボンでラッピングがなされている。
　アオイはラッピングをはずし、箱の蓋を開けた。
　中にはハート型のチョコレートがひとつ、姿を現す。
「ちょっと味のほうには自信、無いんだけどね……」
　ミモリは恥ずかしそうに笑う。
「そんなこと言うなよ。ミモリが作ったんだから、うまいに決まってるだろ？」
　アオイはチョコを口の中へと運び、一口かじった。
「…………」
「ど、どうかな……」
　その様子を、ミモリが不安げな表情を浮かべながら見守る。
「……うまい」
　アオイは正直な感想を述べた。
「本当！？嘘じゃないよね！？」
「ああ。本当だって。こんなに美味いチョコ食べたの初めてだ」
　アオイは自分の偽ざる心境をはっきりと答える。
　実際、こんなにおいしいチョコを食べたのは生まれて初めてだった。
　とても甘く、それでいてしつこすぎず、柔らかい。
「あのね……アオちゃんのことをいっぱいいーっぱい想いながら、そのチョコ作ったんだ……」
「そっか……だからミモリの想いが一杯詰まってたんだな」
　アオイはそう言って、ミモリに優しく微笑みかけた。
「アオちゃん！！」
　ミモリはまるで押さえつけていた感情を一気に噴き出すかのように、アオイの胸に飛び込んでくる。
　そして――

「いてっ！」
　アオイが目を覚ますと、いつの間にかベッドから転げ落ちていた。



「ふわぁ〜」
「あー。アオちゃんまたあくびした〜」
　ミモリはいつまでも眠そうにしているアオイの顔をみて笑った。
「うるせーな。眠いんだから仕方ねーだろ？」
　アオイはバツが悪そうにそっぽを向く。
　昼下がりの公園にしては人の姿もまばらで、どちらかと言うと閑静な雰囲気に包まれている。
　木漏れ日の零れる林道を、二人は歩いていた。
（それにしても……）
　アオイは昨夜見た夢を思いだし、心の中で大きく溜息をついた。
　そしてチラッと横を歩くミモリを見る。
　ミモリはいつもと変わらず楽しそうな笑顔を浮かべていた。
（はぁ……あんな話しなけりゃよかった……）
　アオイは再び、心の中で大きく溜息をついた。
　あれはそう、この街についたときの出来事だ。
　街中の人達がどこか浮かれた様子で、人目をはばからず男が女に何かプレゼントを手渡している光景が、ちらほらと見受けられた。
　アオちゃんアレなーにとミモリが尋ねてきたが、アオイに答えられるはずがない。
　そして近くにいた人に聞いたところ、なんでも特別な日だったと言うことで。
　バレンタインと言う単語がポッと思い浮かんだアオイは、それをミモリにわかりやすく教えたのだった。
（そりゃ、俺だってミモリからチョコを貰えるなんて思ってはいなかったけどさ……）
　それでも心のどこかでほんの少しミモリのチョコを期待していたアオイは、甘い夢から覚め厳しい現実に直面したところで、目を背けたくなったのは無理もない。
（でも、俺からミモリにチョコくれなんて恥ずかしくて言えないしなぁ……）
「あー、今度は溜息。アオちゃん、よっぽど眠れなかったんだね」
　態度に出てしまったアオイの溜息を見たミモリが、横でピントはずれなことを言う。
「うるせー」
　アオイは少しだけ歩く速度を速めた。
「どうしたの？アオちゃん、何怒ってるの？」
　ミモリもその速度に合わせて並んで歩く。
　しかしその後を、一人と一匹が尾行してきていることに、二人はまったく気がついていなかった。

　林道を抜けると、大きな噴水が二人の目の前に現れた。
「うわぁ、みてみてアオちゃん。とってもキレイだよ」
　ミモリははしゃぎながら、アオイの手を引っ張り噴水の前へと走っていく。
「お、おい！」
　アオイはミモリに引っ張られるまま、仕方なく一緒に噴水の前へといった。
　天高く噴き出している水が水しぶきとなって四方に飛び散り、陽の光を反射してキラキラと美しく輝いている。
「あっ、そうだ」
　ミモリが何かを思い出したかのように、どこに隠し持ってたのかひとつの箱をアオイに差し出した。
　その箱は白く小さく、赤いリボンでラッピングされている。
（えっ！？）
　アオイは思わず心の中で驚きの声を上げた。
　その箱は、まさに夢の中で出てきたチョコの入った箱そのものであったのだ。
「これ、アオちゃんにあげるね。初めて作ったから、ちょっと味の保障は出来ないけど……」
「ミモリ……俺のために……ありがとう……」
　心臓をバクバクさせながら、アオイはそっと差し出された箱に両手を伸ばす。
「ちょっとまったぁ！！」
　突然茂みがガサゴソと動いたかと思うと、二人のよく見知った少女が飛び出してきた。
「スー！？」
「あっ、スーちゃん」
　その少女の姿を見て、アオイとミモリは同時に声を上げた。
　スーは肩をワナワナと震わせ、物凄い形相で二人を睨みつけている。肩に乗っている白蛇のポポは、ビクビクと震えながらご主人様のことを見ていた。
「ちょっとミモリ！！アンタなんかにそんなこと絶対させないんだからね！！」
　スーは物凄い迫力で、二人の下へと近寄ってきた。
「アオちゃん、はい」
「えっ？」
　するとミモリはアオイに箱を押し付けるかのように手渡すと、またもやどこからか同じ箱を取り出し、それをスーに差し出した。
「はい、これスーちゃんの分」
「えっ！？」
　突然のミモリの行動に、スーは一瞬たじろぐ。
「あのね、アオちゃんのいた世界では、特別な日に好きな人にチョコを上げるのが習慣なんだって。だからあたしもアオちゃんやスーちゃんたちにプレゼント」
「ミモリ……」
　スーは複雑な表情を浮かべながらも、それを受け取った。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
　ミモリはこれ以上ないと言うくらいの微笑を浮かべる。
　「女の子が好きな男に」と言う、非常に重要な語句が抜けていたような気がしたが、ツッコミをしたところで話が余計こじれるだけなので、アオイはその様子を黙ったまま見守っていた。

　夜。
　宿屋の自分の部屋に戻ったアオイは、ベッドに腰掛け、ニヤついた表情を浮かべながら、ミモリから受け取った箱を眺めていた。
「まったく、ミモリもかわいいところがあるな」
　アオイはまるで腫れ物を扱うかのように、ゆっくりとリボンを外し箱の蓋を開ける。
　中には夢で見たハート型のチョコが入っていた。
「ミモリ……これがお前の気持ちなんだよな……」
　するとアオイの呟きにまるで反応するかのように、ミモリの笑顔がチョコの表面に浮かんでくる。
「ミモリ……」
　アオイは意を決すると、チョコを一口がぶりとかじった。
　そして小気味よい音を立てながら噛み砕いていく。
「うんうん……うん！？」
　しかし、突然口の中一杯に激辛の刺激が充満すると、喉元からとても熱いものがこみ上げてきた。
「カラ〜〜っっ！！」
　そして文字通り、アオイは口から火を吐いた。
「み、水！！水！！」
　近くにあった水筒に口をつけて、水をがぶ飲みする。
　どうにかこうにか落ち着いたものの、口の中はずっとヒリヒリし続けた。
「ミモリの奴〜！！」
　アオイは恨めしそうに隣の部屋を睨んだが、壁があるために覗くことは不可能。ましてや隣の部屋に怒鳴り込むなんてことできなしなかった。
「クソッ……ミモリの奴……！！」
　アオイはベッドに身を投げ出すと、天井をぼんやりと眺めた。
　あの甘くてとてもまろやかな夢のチョコが、とても懐かしく思えた。

　同時刻……
　森の奥で、口から炎を吐き出す一人の少女の姿があったという――