「今の新日はぬるま湯だ。古き良き時代の物を何も継承せず、膿ばかりを残している。だから俺が叩き潰してやる！」
　成田空港で緊急会見を行った猪木は、開口一番、新日プロレスに対する不満を一気に爆発させた。プロレス全盛期の時代に先頭に立ってプロレス界を牽引してきた猪木に、今の新日の現状が許せなかったのだろう。
「弱いものは叩き潰す、時代にそぐわない物は排除するまで」
　猪木は幾度となく、迷走を続ける新日に警鐘を鳴らし続けてきた。しかしその都度新日は無視を決め込み、現状に至っている。猪木のプライドがひどく傷つけられたのはいうまでもない。
　この言葉に、即座に新日プロは反応した。都内の新日プロ事務所で会見を行った藤波社長は「いくらあの人でも、言っていいことと悪いことがある。文句があるならグダグダ言ってないで、リング上で主張したらどうなんだ」
　かくして急遽ＵＦＯとの対抗戦が組まれることになった。
　決戦前日、猪木は意味深な言葉を残している。
「対抗戦？俺はそんなものに興味はないよ。でもまぁ、藤波を制裁するために、特別な刺客を差し向けるがね。それは誰かって？それは当日のお楽しみだよ。ふふふ」
　果たしてこの言葉の意味するものは何か？少なくとも、この時点では誰も猪木の真意に気づいているものは誰もいなかった。
　そして決戦当日を迎える。その日は、この日の試合を象徴するかのように、すっきりしない曇空が一面に広がっていた。
　既に前売り券は完売し、残った当日券を求めて徹夜組ができ、発売開始からわずか２時間でソールドアウトした。
「猪木は完全にキレている。藤波は無事ではすまないだろう」
「いいや藤波の言ってることは正しい。猪木は報いを受けることになる」
「絶対何かが起こる！ひょっとしたら死人が出るかもしれない」
　ファンの期待はいやが上にも盛りあがり、ある種独特の雰囲気が試合前から会場の東京ドームを包み込んでいった。
　そして運命の時を迎える。
　会場の証明が落とされ、一閃のライトがリング上の田中リングアナを照らし出した。
　静まり返る会場。皆、緊張の面持ちでリングを凝視している。
　田中リングアナは静かに、そして低い声で前口上を述べた。
「悪に染まりし新日を浄化すべく、悠久の時を超えて今、復活！古き良き時代の懐古へ……彼氏猪木の事情、見参！」
　入場口がカクテルライトに照らされ、「猪木ＢＯＭ−ＢＡ−ＹＥ」のテーマが大音量で鳴り響く。
　異様なざわめきが起こる観客席ではあったが、これもなにかのファンサービスだろう、とみな半信半疑の状態で入場口を見ていた。
　だが、次の瞬間、皆は唖然とした。
　花道に姿をあらわしたのは猪木ではなく、そこに現れたのは、猪木とは似ても似つかない柔道着を着た白覆面男であった。
「何やってんだ小川〜〜！！」
「なんでお前が花道にいるんだよー！！」
　観客から次々と白覆面に向かって罵声が浴びせられる。だが白覆面はそんなのはお構いなしとばかりに、ゆっくりと花道の真ん中を歩いて、貫禄たっぷりにリングインした。そしてコーナーポストに上がると、観客席に向かって中指をおったてた。
　途端に観客席からはブーイングが発生する。白覆面は満足そうにその反応を確かめると、コーナーポストを降りて腕組みしながら入場口を凝視した。
　ざわめきが収まらない中、再び田中アナの前口上が読み上げられる。
「失われし闘魂カードを回収するために、神より授かりしこの力、お見せいたしましょう！カードキャプター・辰巳、降臨！！」
　およそプロレスとは似つかない、どこかで聞いたようなアニメ調の甘いメロディが会場一杯に響き渡る。
　そして、登場口に現れた選手を見て再び観客は騒然となった。
　鋭い眼光。
　浅黒く焼けた肌。
　引き締まった肉体。
　そして、なによりも目をひくのが、鮮やかなピンク色のショートタイツ……
　それは紛れもなく新日プロ社長・藤波辰巳であった。
「藤波ぃぃぃぃぃ！！気は確かかぁ〜！？」
「お前、そこまで落ちぶれたのかっ！！」
「気色悪い格好で入場してくるなー！！」
　様々な罵詈雑言が観客席から飛んでくる。しかし藤波はまったく動じる様子もなく、白覆面に眼光を据えながらエプロン前まで来る。
　すると白覆面は藤波に背を向けてしまった。
　拍子抜けしたかのように藤波はリングインすると、自分のコーナーに歩いて行く。
だが、これは白覆面の作戦であった。
　藤波が油断したのを感じ取るや否や、急に向きを変え藤波に突進していく。
　不意をつかれた藤波は、白覆面のタックルをまともにくらってしまった。
　馬乗りになって襲いかかろうとする白覆面を、レフェリーが必死に引き離して、コーナーに待機するように強く注意する。
　直後に試合開始の合図を告げるゴングが響き渡る。
　観客席は一気にヒートアップした。
　頭を２度、３度軽く振った藤波は、怒りの形相で白覆面に突進していった。白覆面も、待ってましたとばかりに突っかかっていき、ロックアップする。互いの意地と意地がぶつかりあった格好だ。と、藤波がいきなり白覆面に膝蹴りをお見舞いした。みぞおちに入った白覆面は、もんどりをうちながらリングにダウンする。藤波はえげつない角度のストンピングを２、３度叩きこみ、白覆面を起こすとそのままブレーンバスター。さらに膝めがけてニードロップを２発お見舞いする。
　早くも観客席からは藤波の勝利を確信したかのように「藤波」コールが沸き起こった。
　藤波は笑顔でそれに答え、ダウンしている白覆面を再び起こす。
　だが、この時白覆面の目が光った。一瞬の藤波の油断の隙をつき、急所パンチをお見舞いする。
もんどりをうつ藤波。白覆面はダウンした藤波にお返しとばかりに、急所ヘッドバッド、噛み付き、アイクローの反則殺法で反撃、さらにはマウント・ポジションを取ると遠慮なく鉄拳制裁。そして立ちあがると藤波の顔面を踏みつけ、さらには顔面に蹴りを一発お見舞いした。
　場外に崩れ落ちる藤波。ピクリとも動かない。
　心配したほかの選手達が駆け寄ってくる。
　白覆面はマイクを要求し、田中リングアナが差し出したそれを手に取ると、観客席に向かってマイク・アピールを始めた。
「おいおい！もう終わりかよ！？冗談じゃねーぞ！！新日本プロレスファンの皆さん、目を覚ましてください！！」
　さらにはダウンしている藤波に向かって「オイ藤波！！ファッキン・バースデー！！」と屈辱的な暴言を吐いてマイクを叩きつけた。
　これには流石に新日プロの選手が激怒し、エプロンサイドにかけあがる。観客席からは大ブーイングの嵐と「帰れ」コールの大合唱。
「ふざけんなバカヤロー！！」
「金返せー！！」
「ナメんじゃねーよ！！」
　観客席からは、次々とリングに向かって物が投げ込まれる。
　新日の選手が白覆面にクレームをつけるが、白覆面はどこ吹く風、といった感じで得意のヒコーキポーズを披露して、彼らの神経を逆なでする。
　だがこの時、藤波社長の異変に気づいているものはほとんどいなかった。
　最初に気がついたのはリングサイドに陣取っている観客であった。
「おい、藤波がいないぞ」
「ほんとだ。どこに行ったんだ？」
　観客席がざわつき始める。しかし白覆面の位置からは、選手達が壁になっていてその様子を窺い知ることができない。
　流石に様子が気になった白覆面がその壁を押しのけて様子を見ようとしたとき、リング下で息を潜めていた藤波がチャンスとばかりに素早い動作で白覆面の背後からリングインした。そしてスリーパー・ホールドで捕らえる。
　予期せぬ攻撃に白覆面は苦しみもがきながら必死にロープに捕まろうとするが、藤波はそうはさせじとリング中央まで移動すると、胴締めスリーパーに移行した。
　湧きあがる大歓声。徐々に白覆面の動きが止まっていく。そして藤波の絞める力はどんどん強まっていく。
　白覆面は必死のサミングでこの状況から脱出した。
「ああっ！！」
　落胆の声が観客席から湧きあがる。
　白覆面は再びマウント・ポジションを取るとパンチを二、三発お見舞いして腕ひしぎ逆十字固めに移行しようとした。そうはさせじと抵抗する藤波。ならばとアキレス腱固めに入ろうとする白覆面に、切りかえしてキー・ロックに持ちこもうとする藤波。
　熱きグラウンド攻防が続き、先ほどとは一点したレベルの高いレスリングが展開される。
　２０分過ぎ、豪を煮やした白覆面が藤波をスリーパーに捕らえようとした。だが藤波は、それを一本背負いで切り返すと裏ＤＤＴ、バックドロップ、投げ捨てジャーマン、そしてスリーパーに捕らえるとドラゴン・スリーパーに移行する。
　なんとかロープブレークでこの攻撃をしのぎきった白覆面は、藤波をロープにふるとベアハッグ・ドロップ、ノーザンライト・スープレックス、そして掟破りのドラゴン・スリーパー。さらにはフルネルソンの体型にとり、ドラゴン・スープレックスをお見舞いさせようとする。だが、ここで藤波は、なんと急所蹴りを繰り出してこの窮地から脱出した。
　そして、先ほどのお返しとばかりに急所膝打ち、ハンマー・ロック、脇固め、さらにはコーナーポストにふると、顔面ウォッシュをお見舞いする。
　白覆面はグロッキーになる。チャンスとばかりに藤波は白覆面をコーナーに上げると、雪崩式ドラゴン・スープレックスを繰り出すと、さらにはシューティングスター・プレスを直撃させた。
　白覆面はこれをカウント２でクリア。続くドラゴン・スープレックスホールドもカウント２．９でクリアした。
　ダウンした白覆面を再びおきあがらせ、バッグを取る藤波。
　会場内は大「藤波」コール。最早誰もが藤波の勝利を確信した。
　しかしここで白覆面は急所蹴りを繰り出すと、電光石火のＤＤＴを炸裂させた。そして必殺技のＳＴＯ、スペース・トルネード・オガワが火を吹く。
　後頭部を痛打した藤波はまったく動かない。
　油断した白覆面は置きあがらせてとどめを刺そうとするが、なんとこれは藤波の「死んだふり作戦」であった。
　いきなり目を見開くと白覆面の顔面に毒霧を噴射。目を潰された白覆面に、隙ができる。それを見逃さなかった藤波は、彼の足を捕らえるとドラゴン・スクリュー、さらには足四の字固めにもっていった。藤波最後の攻撃。グイグイと、力のある限り締め上げる。必死になって白覆面は耐え続ける。
　ここで、６０分が経過し、試合終了のゴングが打ち鳴らされた。
　互いに死力を尽くした死闘。最初は批判的だった観客もいつしかこの試合の魅力にひきこまれ、暖かい拍手をおくっていた。