この世には決して言葉では説明できない、不思議なことが多々ある。
　人は得てしてそれらを怪奇現象だの心霊現象だの不可解現象だのと単純明快な言葉で片付けようとするが、俺は決してそうは思えない。
　もしそういう現象に遭遇したのなら、それはきっとなにか理由があって、若しくは運命的な導きがあってのものだと考える。
　例えそれを体験したのが目に見える現実の世界ではなかったとしても、だ。
　窓の外に目を移すといつのまにか雪が降り始めていた。
　あれから３ヶ月……早いものだ……
　最近まで秋だったのがもう冬になったのか、と季節の到来を改めて実感させられる。
「なにしてるの？」
　いつのまにか瑞希が俺の席の前に立っていた。
「別になにもしてねーよ」
　俺は視線の先を変えることなくそう答える。
「ただボーっとしてただけだ」
「またぁ？功司君、ホント、ボーっとするのが好きね」
「悪いかよ。俺はこうしてるのが好きなんだ」
「クスッ」
　その言葉に瑞希はおかしそうに笑った。
「俺、なにかおかしいこと言ったか？」
「ううん。功司君らしいな、って思って」
「悪かったな俺らしくて」
　俺はムスッとしながらずっと窓の外を眺めつづけた。
　雪は徐々に量を増していき、灰色の世界を白一色へと変化させていく。
　まるでその光景はここがあたかも現実の世界ではないかのような、幻想的な感情を抱かせる。
「雪、酷くなってきたね」
「ああ、そうだな。本降りになるのは夜半とか言ってたのに……」
「最近の天気予報って当たらないから仕方ないわよ。でもどうしよう？私傘持ってきてないのに……」
「心配するな。俺が折りたたみ傘持ってるから、いれてってやるよ」
「ホント？ありがとう。やっぱこーゆー時って幼馴染って頼りになるわよね」
「幼馴染、か……」
　俺は思わずその言葉にため息をついた。
　やりきれない感傷的な気分がとめどなく襲ってくる。
　俺には瑞希の他に幼馴染がもう一人いる。
　いや、正確には存在した、と表現するほうが正しいだろう。
　彼女の名は璃月沙夜。
　少しおっちょこちょいで優しくて、とてもおとなしいけど意地っ張りで、料理が上手なかわいい少女だ。
　俺は沙夜と一緒にいられることにいつも喜びを感じ、とても幸せな気分一杯の毎日を送っていた。
　しかし彼女は瑞希と違ってこの世の人間ではなく、俺が創り出した夢の世界の住人だった。
　そしてそんな彼女は、俺が目覚めれば自分の存在が消滅すると言うことも承知の上で、俺を現実の世界へと導いてくれたのだ。
　いつも俺のことを思いつづけてくれた沙夜。
　その沙夜の存在を、自分が創造した夢の世界に幕を下ろしたのも他ならぬ俺なのだ。
　これは決して消えることのない大罪だ。
　自分の都合だけで沙夜の存在する権利を奪ってしまったのだから。
「功司君……」
　そんな俺の心情を察してか、瑞希の声も一段とトーンが低いものになった。
「ひょっとして、まだ璃月さんのことを……」
「え？そんなことないよ」
　俺も慌てて否定をしたが、瑞希はそんな俺の態度を見てクスッと笑った。
「無理しちゃって。一体何年幼馴染やってると思うの？功司君の考えてることくらいわかるわよ」
「うっ……わ、悪かったな」
「別にいいのよ。でも……」
「でも？」
「なんだか妬けちゃうなぁ」
「えっ？」
　俺はその予期せぬ言葉に瑞希をみた。
　瑞希は微笑んではいるがその表情は寂しげで、視線もどこか遠くのものを見ているように見える。
「私も一度でいいからそんな風に思われてみたいな」
「瑞希……」
「……なんてね。さ、功司君。学食行きましょ。早くしないと席なくなっちゃうわよ」
「あ、ああ……」
　そう言った瑞希は、いつもの瑞希に戻っていた。が、その笑顔は明かに無理をして作っている上辺だけのものだというのが、俺にははっきりとわかった。
　どっちが無理してるんだよ……
　俺は心の中で自虐的にそう呟いた。
　瑞希の気持ちはわかっている。わかっているけど、今の俺にはどうすることもできない。
　ゴメンな、瑞希……
　俺にはそんな瑞希の態度が痛く胸に刺さった。

「ただいま」
　誰もいない静かな家。
　いつものこととはいえ、なんだか今日は余計に寂しく感じられる。
　沙夜……
　俺は改めて、その少女の笑顔を思い浮かべていた。
　もう二度と会えないとわかっていながらも、その想いはさらに募っていく。
「重症だな、こりゃ」
　俺はため息をつきながらふと、郵便受けを見てくるのを忘れていたことを思いだした。
　俺のいつもの日課として学校から帰ってきたらまず郵便受けの中を確認するのが習慣になっているのだが、今日はそれをやることを忘れるほど思想にふけっていたようだ。
　玄関を出て、雪にうたれながら重い足取りで郵便受けに向かう。
「どーせ今日もなんにもはいってないだろうけど、な」
　俺はそんな気持ちで郵便受けの中身を確認すると、一通の封筒が入っていた。
「ん？なんだこれ？」
　俺はその封筒を手にとって、いぶかしげに見つめた。
　宛名は俺になってるが、差出人は不明だ。
　中に何か入っているらしく、少し重みのある感じがする。
「一体誰だ？」
　俺はその封筒をその場で開封してみた。すると中から出てきたのは、七角形にカッティングされた水晶のペンダントと、１枚の便箋だった。
「水晶……？どこかの占いとか幸運を呼びこむなんていうアイテムじゃねーだろーなー」
　俺はそんなことを思いながらも便箋に目を見遣った。
　その便箋には丁寧な字で極簡潔に、こう書かれてあった。
『ペンダントを首にさげ、想いを念じてください』
　霊感商法にいかにもありきたりな文面ではあった。
　しかし、何故か俺はその文面を信じてみたくなった。
　その文面には人を引き寄せるような、なにか魔法のようなものがかかっているように感じられた。
「ダメ元だしな。だけど……」
　俺は早速ペンダントを首から下げると、右手でギュッと水晶を握り締めながら目を瞑り念じ始めた。
　沙夜に会いたい。沙夜に会いたい。
　端から見ればなんとも奇妙な光景に映るだろう。
　傘も差さずに宗教まがいの怪しい行動をとっているのだから。
　しかし、今の俺にはそんな世間体なんてどうでもよかった。
　こうすれば沙夜に会える、そんなような気がした。
　沙夜に会いたい。沙夜に会いたい。
　風がどんどん強くなっていく。吹きつけてくる雪がとても痛い。
　しかし俺はそんなことは構わず念じ続けた。
　沙夜に会いたい……沙夜に会いたい！
　どれくらい時が流れたのだろう。
　風がピタリ、と止んだ。
　訪れる静寂。何も聞えない。
　俺は恐る恐る目を開けた。
「…………っ！！」
　そして次の瞬間、俺は信じられないものを目にした。
　門の前に一人の少女が立っている。
　少し華奢でおとなしそうなその少女は、頭の上に雪を積もらせながら恥ずかしそうに目に涙を浮かべて、俺を見ていた。
「沙夜……」
　俺は持っていた手紙をポロリ、と地面の上におとした。
　まるで夢でも見ているような気分だった。
「功司君……ただいま……」
　次の瞬間、俺は駆け出してその少女を抱きしめていた。
「お帰り沙夜。もう、離さないからな」
「うん……ゴメンね、功司君……あたし、あたし……」
「いいんだ。何も言うな……」
「うん……うわぁぁぁぁぁん！！」
　沙夜は堰をきったように泣きじゃくり始めた。
　俺はそんな沙夜を優しく抱きしめ続けてやる。
　夢じゃない。夢じゃないんだ。
　今こうして俺の傍に沙夜がいる。
　目頭から熱いものが零れるが、俺はあえてそれを止めようとはしなかった。
　しばらくの間二人だけの時が流れる。
　やがて沙夜が泣き止んだのを見計らって俺はおもむろに口を開いた。
「沙夜……もうどこにもいかないよな？」
「うん。神様が功司君のために、あたしに新しい運命授けてくれたんだ」
「新しい運命？」
「この世界で功司君と一緒に暮らすっていうことだよ」
「そうなのか……奇跡が起こったんだな」
「うん。これも功司君のおかげだよ。だからちゃんと責任とってよね」
「責任？」
「あたし、この世界じゃ住む家もないし、それにこの世界のことよく知らないんだから」
「そっか……そうだよな。それじゃあ責任とらなくっちゃ駄目だよな」
「うん！」
　沙夜はクスッと笑った。
　その笑顔は太陽みたいに、とても眩しいものだった。
　沙夜……本当によかった。
　俺は心底そう思った。
　そしていつのまにか、七角ペンダントが消失しているのにも気がついた。
　そっか……アレは奇跡を起こすための道具だったんだな……
　俺はフッと笑った。
　その様子を沙夜が不審に思ったらしく、不思議といった表情で尋ねてくる。
「どうしたの？」
「いや、沙夜って泣いた顔もカワイイなぁって思って」
「もぅ……知らない」
　咄嗟に返した答えに沙夜は頬を膨らませながらプイッと横を向いてしまう。
　そんな仕草もとても新鮮で、そしてカワイらしかった。
「なぁ、沙夜」
「なによぅ……」
「悪かったって。だからそんなに拗ねるなよ」
「……本当に悪かったって思ってる？」
「思ってるよ。な？沙夜」
「うん……それじゃあ許してあげる」
　沙夜はそう言うと、いつもの笑顔に戻った。
　俺も自然と笑みが零れる。
「あたし……ずっと功司君のそばに居ていいんだよね」
「もちろんだとも」
「功司君……」
「沙夜」
　そして俺達は互いの意思を確認しあうと、そっと唇を重ね合わせた。
　いつのまにか降り止んだ雪の切れ目から、ほのかな陽光が射していた。