トゥーシーさんの悩み事

「最近、トゥーシーさんの様子、なんだか変だと思わない？」
　それは、ある日の夕食でのこと。
　少し深刻そうなリコッテの言葉が、俺の食事をとる手を止めさせた。
「やっぱり……バノンもそう思ってるんだ」
　言葉に出すよりも先に態度で感じ取ったリコッテは、フゥッと溜息をついた。
「そりゃ、あれだけ様子がおかしければ、気にはなるさ」
　俺もトゥーシーさんのことを思い返し、コクリと頷く。
　確かにこのごろのトゥーシーさんは、なんだか様子が変だ。
　長時間物思いにふけったり、突然笑ってみたり、急に恥ずかしがったり。
　かと思えば悲しそうな表情になって黙りこくったりと、明らかにおかしい。
「ねぇ。ひょっとしてトゥーシーさん、何か悩み事でもあるんじゃないかな？」
「悩み事？」
「うん。例えばおいしいものを食べ過ぎて太っちゃったとか……」
「バカ言え。トゥーシーさんは目が見えないんだぞ。どうして体重のことが気になるんだ？」
「そんなのわからないじゃない！！女の子は目が見えなくったって体重とか気にするものなの！！」
　リコッテはむくれながらドーナツをパクパクと食べる。
　どうやら「お前じゃあるまいし」という言葉は言わずに呑み込んで正解だったようだ。
　しかし、確かにトゥーシーさんのことはほっとけないような気がする。
「まぁ、確かにリコッテの言うとおりかもな」
「えっ？」
　リコッテは顔をあげて、俺を見た。
「だから、トゥーシーさんが何か悩み事を抱えてるかもしれないってこと。俺が相談に乗ってあげてもいいかな？」
「……どうして、私に同意を求めるのよ？」
　リコッテは不思議そうに尋ねる。
「だって、お前に同意求めておかないと、後で大変なことになりそうだから。この前だって俺とトゥーシーさんの仲を疑ってヤキモチ焼いたもんな」
「なななっ！！」
　リコッテは慌てふためきながら、必死に言葉を探りだそうとする。
「そ、そんなわけないじゃない！！何で私があんたみたいな男のためにヤキモチ焼かなくちゃいけないのよ！！」
「照れるな照れるな」
「照れてなんかないもん！！バッカじゃないの！？あーあ。少しはレディの扱い方を教えてあげたと思ったのに……全然進歩してないんだから！」
「そうか？少しは上達したと思ってるんだけどなぁ……リコッテのおかげで」
「えっ？」
　『リコッテのおかげで』と言う言葉がそうとうリコッテの心の中に響いたらしく、一転してリコッテは得意げに胸を張った。
「そ、そうよ！バノンがレディの扱い方上手になったのも、私のおかげなんですからね！！まぁ、でも、私から言わせればまだまだだから、もっともっと勉強する必要があるけど」
「そうか。じゃあ後で、いい子いい子してやるからな」
「あー！！私のこと子供扱いしてる！！」
　俺が頭を撫でる仕草を見せると、リコッテは激昂した。
「そんなに怒るなって。ベッドの中でたっぷりかわいがってやるから」
「かわいがって欲しくなんかないもん！！バノンのエッチ！！」
　リコッテは怒りながら、ミルクを一気に飲み干す。
　結局リコッテは、その晩一言も口を聞いてくれなかった。

　翌日、仕事が休みの俺は、トゥーシーさんの出没しそうな公園へと足を運んでみた。
　トゥーシーさんがいるとすれば、公園か噴水広場のはずだ。もし公園にいなかったら噴水広場を探して、それでも見つからなかったら諦めればいい。
　家を出る時リコッテの姿が見えなかったのはちょっと気になったが、まぁ家出したってわけではなさそうだったので、あまり心配することもないだろう。
　公園についた俺は、早速辺りを見回してみた。
「さて、トゥーシーさんは……あ、いたいた」
　トゥーシーさんはベンチに腰掛け、なにやら物思いにふけってるようで、ぼんやりと空を見上げている。
　目の見えない彼女の瞳に映し出されている光景は、果たして何か……少し気にはなることだけど。
　やがてトゥーシーさんは、大きく溜息をついた。
　やはり、トゥーシーさんは大きな悩み事を抱えている。
　俺はトゥーシーさんに近寄って、声をかけた。
「トゥーシーさん」
「えっ！？」
　トゥーシーさんは驚いたように身体を震わせ、俺のほうを振り向いた。
「バノン……さん……？」
「ゴメンゴメン、驚かせるつもりはなかったんだけど。隣いいかな？」
「は、はい」
　トゥーシーさんは何故か顔を赤らめながら、コクンと頷く。
　俺はトゥーシーさんの隣に座ると、辺りを見回した。
　さて、どーやって悩み事のことを切りだそうか……げっ！？
　俺は一瞬見てはいけないものを見たような気がして、慌てて視線をそらす。
「どうかなさったんですか？」
「あ、いや、なんでもないよ」
　俺はひきつった作り笑いを浮かべながら、視線を戻す。
　その場所――大樹の陰からチラ、チラッと明らかに俺達の様子を窺っている人物の姿があった。
　何やってるんだリコッテの奴？
　それは、フロックコートを着て、黒いサングラスをかけて変装をしてはいるが、明らかにリコッテであった。
　ひょっとして……俺を監視している？
　……ありうるな。リコッテはとてもヤキモチ焼きだから。
　よし、ここはひとつ、リコッテをからかってみることにするか。
「トゥーシーさん、今日はいい天気だね」
　俺はそんなことをいいながら、トゥーシーさんの肩に手を回す。
「バ、バノンさん？」
　トゥーシーさんは驚いたように俺を見る。
「トゥーシーさんってとってもいい匂いするよね。それに、傍にいるだけでとっても安堵感を与えてくれるって言うか、優しい感じがするし」
「そ、そんな……」
　トゥーシーさんは戸惑ってるような表情を見せる。
「トゥーシーさんって、本当かわいいね」
　トゥーシーさんにささやきながら、髪を優しく撫でる。
「…………」
　すると、トゥーシーさんは恥じらいながら、俺に身を寄せてきた。
「バノンさんも、とてもステキな方だと思います」
　トゥーシーさんは甘い声で恥ずかしそうに呟く。
　なんかすっごくいい雰囲気のような……
　ひょっとして、トゥーシーさんは俺のことで悩んでたんじゃあ？
　俺に恋心を抱いてしまったのに、リコッテがいるため告白できず悶々とした日々を過ごすハメになってしまった……
　だとすると、俺はなんて罪作りな男なんだ！！
「バノンさん……」
　ああ、やっぱり！！
　トゥーシーさんは目を瞑って、ジッとしてる。
　これってやっぱり、キスしてくれってせがんでるってサインだよな……？
「トゥ、トゥーシーさん……」
　俺も男として、責任をとって、トゥーシーさんの期待に応えなければ……！
「ダメぇぇぇぇっ！！」
　突然、大木の陰から飛び出してきた人物の金切り声によって、俺の行動は、トゥーシーさんの唇まで後数センチと言うところで中断を余儀なくされた。
「バノン！！一体何やってるのよー！！」
　その不審人物、リコッテは非難めいた口調で俺に突っかかってくる。
「いやぁ、見たとおりのことだけど。いいところだったんだから、邪魔するなよ」
「邪魔、ですってぇ！？」
「大体、なんだよその変装は？」
　俺はリコッテからサングラスを取り上げた。
「あっ！？か、返してよ！！」
　素顔になったリコッテは、慌てたようにサングラスを奪い取ろうとする。
「ははは。ヤキモチ焼くなんてかわいいな」
　なでなで
　俺はリコッテの頭を撫でる。
「う〜〜っ！！」
　リコッテは恨めしそうに俺を睨みつける。
　まったく迫力ない拗ねた顔が逆にかわいらしい。
「あ、あの……」
　その時、トゥーシーさんが困ったように声を上げた。
「話がまったく見えないんですけど……」
「ああ、ゴメンゴメン。実は……」
　俺はトゥーシーさんに、ことの詳細をかいつまんで話し聞かせた。
　最初トゥーシーさんはウンウンと頷いていたが、次第に顔を赤らめせわしない態度になった。
「……と言うわけで、俺はリコッテに頼まれてトゥーシーさんに、悩みを聞きにきたんだ」
「そうでしたか……」
　トゥーシーさんは大きく溜息をつくと、一呼吸を置いて顔をあげた。
「リコッテさんやバノンさんのおっしゃるとおりです。私、どうしたらいいのかわからなくて……」
　俺もリコッテもゴクリと唾を飲み込む。
　いよいよ俺への告白か！？
　リコッテはどことなく落ち着かない様子になってきている。
「で、その悩みって言うのは、やっぱり……」
「はい……」
　トゥーシーさんはコクンと頷いた。
「このままじゃ太っちゃうんじゃないかなぁ、って」
「そうそう。俺への……って、太っちゃう！？
「えっ！？あ、はい。フォンティナさんからいただいたお紅茶とクッキーがとてもおいしくて……このまま食べ続けたら太っちゃうかなぁって。でも、なかなか止められなくって……」
「フォ、フォンティナから貰った紅茶とクッキー……」
　絶句する俺の横で、リコッテがしたり顔でにやけている。
　その表情は、まるで「私の言ったとおりでしょ！！」「バノンは、まだまだレディのことなんか少しもわかってないんだから！！」「バッカじゃないの！？あんたなんかにトゥーシーさんが恋心抱くわけないでしょ！！」「変態！！」「バノンのドスケベ！！」など、罵詈雑言が溢れ出んばかりの憎々しいものであった。
　ただ、その中に、どこかホッとしたような安堵感が漂ってるけど。
「あの、どうかなさったんですか？」
　不思議そうに、トゥーシーさんが尋ねてくる。
「ああ、いや、なんでもないよ。ははは……」
　俺は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「ねえねえトゥーシーさん。バノンがおごってくれるって言うから、何か食べに行こうよ！！」
　元気を取り戻したリコッテが、トゥーシーの手をとった。
「え、ええ」
　トゥーシーさんはリコッテの迫力に怯んだのか、コクンと頷く。
「と言うわけで、バノン。よろしくね」
　リコッテは勝ち誇ったように笑顔を浮かべると、俺達を先導するかのように歩き出した。
　まぁ、しょうがないか……俺の早とちりだったわけだし……
　俺は溜息をつくと、ベンチから立ち上がった。
「あ、あの、バノンさん」
　トゥーシーさんも、慌てて立ち上がる。
「どうしたの？」
「そ、その……ありがとう、ございました……」
　トゥーシーさんは消え入りそうな声で囁くと、歩き出した。
「いえいえ。どういたしまし……て？」
　俺は相槌を打とうとして、言葉を止める。
　どうして過去形なんだ？
　普通は「ありがとうございます」だよな？？
　ひょっとしてトゥーシーさん、やっぱり俺のことを……
　しかしそのことを確かめようとしても、既にトゥーシーさんはリコッテと手をつないではるか先を歩いているのであった。