静かな夜道。
　薄く照らされる月明かり。
　そして時折聞える虫の声。
「風流だなぁ」
　華允はしみじみそう思った。
　とても若者の思考回路とは思えない。友人が聞いたら「お前いつからそんな年寄り臭くなったんだ！？」と突っ込まれるだろう。
　冬が近づいてきたためか、時折吹く風が肌に痛い。
　ポケットに忍ばせた缶ココアがカイロ代わりに華允を暖める。近くのコンビニで買ってきたものだ。
「おや？」
　玄関の戸を開けようとした時、屋根に人影らしきものがあるのを発見した。
「あれは……ミーシャか？なにやってんだあんなところで」
　ふと気になった華允は家の中にはいると、自分の部屋から気づかれないように窓からそっと屋根に出た。
　何やってるんだ、あいつ……
　華允はそのまま様子を見ることにした。
　広大な星空の海を、ミーシャはただ黙々と眺めていた。
　何か悩みでもあるのだろうか、その表情は冴えない。
　重苦しいような、悲しく近づき難いオーラを発している。
「クシュン！」
　くしゃみを一回した。しかし、そんなことは気にする風もなく、また星空に視線を戻す。
　仕方ないヤツだな、華允はそう思った。
　部屋に戻って上着を着て、そして再び屋根に出てそっと近づくと、ポケットに忍ばせておいたホットココアを取りだし、ミーシャの頬に当てる。
「ひゃ！？」
　突然の出来事に、ミーシャは身体をビクッと振るわせる。
「驚かせちゃったか？」
「も、もうケイン！！ビックリさせないでよ！！
「はは、スマンスマン」
　華允は申し訳なさそうに謝ったが、ミーシャの目蓋から一筋の涙が零れ落ちるのを見逃さなかった。
「お前……泣いていたのか？」
「そ、そんなことあるわけないじゃない！！」
　ミーシャは慌ててゴシゴシと目をこする。
「ホームシックか……俺も向こうの世界にいた時はそうだったな」
「ち、違うわよ！！あたしがそんなのにかかるわけないじゃない！！」
　図星をつかれたミーシャは、自分の考えを悟られまいと懸命に否定する。
　しかし華允には痛いほどミーシャの気持ちがわかっていた。
　見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ世界……
　華允も異世界に飛ばされた当初は何度も元の世界に返る方法を探した。
　軽いホームシックにもかかった。
　いくら誰もいない家とはいえ、ここには思い出が沢山詰まっている。
　華允にはそれらを捨て去ることはできなかった。
　華允はこうして帰って来たわけだが、一緒についてきたファトラとミーシャを向こうの世界に送り返す方法など、華允は知る由もなかった。
　おそらく、今のミーシャは自分の国に帰りたくて仕方がない、一刻も早く両親の顔を見たいといったところが本音だろう。
　無理もない。例え一国のお姫様とはいえ、ミーシャはまだ１３歳の少女なのだ。
「心配するな。そのうちきっと、帰れる方法が見つかるって」
「だから違うわよ！！あんたなんかにあたしの気持ちなんてわからないわよ！！」
「そうだよな。俺はお前じゃないんだから、お前の気持ちなんかわからねーよ」
「………………」
「でもよ、俺も向こうの世界に行った時は心細かったぜ。そんな時はこうして星空を眺めたっけ」
　華允はミーシャの横に座ると、しげしげと星空を眺めた。
「……お父様やお母様とこうして、よくお城の窓から星空を眺めたの」
　ミーシャは今にも噴だしそうな感情を押さえるように、淡々と語り出した。
「お父様ったら夜になると決まってあたしを迎えにきたの。それで『ミーシャ、今日は一段と星空が綺麗だぞ』なんていつも同じこというのよ」
「娘想いのいい親父じゃねえか」
「お母様も『ミーシャはもう少しお転婆なところを直して、あの星達のように気品を持たないとダメよ』って言ってたわ……」
「そうか……」
「お父様……お母様……今ごろどうしてるんだろ……」
「心配するな。きっと元気にやってるさ」
「そうだといいんだけど……あいたいな……」
「ミーシャ……」
「あたし……お姉ちゃんのように強くないから……」
　ミーシャの瞳からはとめどなく涙が零れ落ちる。
　華允はそんなミーシャの方に、手を回してそっと自分のほうに引き寄せた。
「ケイン……？」
「お前は少し強がりすぎなんだよ。泣きたいとけば泣けばいいさ」
「………………」
「お前は必ずもとの世界に返してやるよ。俺じゃ頼りないけど、絶対にお前を守ってみせる」
「ケイン……」
「だから、もう少し待っててくれるか？こっちの世界じゃなにかと窮屈かもしれないけど。必ず、お前達が戻る方法を見つけ出すから」
「……ありがと……ケイン……」
　ミーシャは静かに目を閉じてケインの温もりを感じていた。
「クシュン！」
　しかし寒さのため、またクシャミをしてしまう。
「仕方ないヤツだな。ほれ」
　ケインは自分の着ていた上着をミーシャにかけた。
「全く、秋だって言うのにそんな格好してっから風邪ひくんだぞ」
「えへへ。ごめんなさい」
　目に涙を浮かべたミーシャの笑顔を見て、華允はようやく安堵した。
　まだ小さいんだもんな……無理もないか。
「寒くないか？」
「う、うん。もう平気」
「そんなこといって……また風邪ひかれたら困るからな。ほら、これでも飲め」
　華允はそう言って手に持っていたホットココアをミーシャに渡そうとしたが、考えなおして自分の胸ポケットに入れてあったもう１つのホットココアを渡した。
「まぁ、どっちでもたいしてあったかさかわんねーだろうけど、こっちはお前の悲しみが詰まってるから俺が飲むことにするわ」
「ケイン……」
　ミーシャは缶の封をきると、静かにココアを一口飲んだ。
「……温かい」
「やっぱり、お前には笑顔が似合ってるよ」
「えっ！？」
　一瞬ビックリしたミーシャであったが、華允と同じく星空に視線を移してた。
　その中を、一筋の流星が流れる。
「あ、流れ星！」
　ミーシャが小さく叫んだ。
「ねえ、あんたどんなお願い事したの？」
「俺か？秘密だ。お前こそどうなんだよ？」
「あんたが秘密なら、あたしだって秘密だもん」
　ミーシャはクスッと笑いながら華允に寄り添ってきた。
「もう少し、このままでいさせてほしいな」
「姫様がそうしたいのなら、どうぞお好きに」
「ありがとう……」
　ミーシャは静かに目を閉じた。
　静かな夜空を、幾重もの美しい流星が流れていった。