青々と茂った牧草が、時折吹くそよ風によってゆらゆらと揺れている。
　川の水は冷たく透き通っており、空を見上げると初夏の日差しが眩しい。
「うわぁ〜〜〜！！みてみてミーちゃん！！ウシさんがたっくさんいるよ！！」
　麦藁帽子をかぶったワンピース姿のファトラは、その光景を目の当たりにして思わず感激の声をあげた。
「ホント。なんだかほのぼのするわね」
　いつもと違って髪型をポニーテールにしている、オーバーオール姿のミーシャも壮大な風景に思わず見とれてしまう。
　目の前には一面、牧草地が広がっていた。その上を乳牛が優雅に歩いている。
「それはいいけどよ……なんで俺が二人の荷物持たなきゃいけねーんだ？」
　二人の後ろでは、今にも荷物に押しつぶされそうな状態の華允が情けない声をあげていた。
「細かい事は気にしない♪」
「そうよ。あんたも一応男なんだから、それくらい我慢なさい！」
「へいへい。悪うございましたね」
　笑顔の二人に対して、明らかに華允は不服そうな顔をしている。しかし心の片隅では「まっ、いっか」と安堵感を覚えていた。
　事の発端は一昨日にさかのぼる。
「あたし牧場に行ってみたい！！」
　いつもの夕食を終えたあと、ミーシャが突然こう言い出した。
「はぁ？お前なに言ってるんだ？」
「ミーちゃんなんでそんなところに行ってみたいの？」
「なんでもいいからとにかく行ってみたいの！！」
　華允やファトラがいくら尋ねても、ミーシャは「行きたい！」の一点張りで決して理由をしゃべろうとはしない。
　華允とファトラはお互いの顔を見合わせた。
　ミーシャが駄々をこねるのはいつものことで、決して珍しい事ではない。
　しかし今日のミーシャは、どこか決意を秘めたような強い意志で「駄々」というよりも「主張」をしているようであった。
「ケーちゃん、どうするの？」
「どうするもなにも……困ったな」
　華允は両腕を前で組みながら「うーん」と唸ってしまう。
　「牧場に行きたい」と突然言われても、一体どこの牧場に行っていいのか、そこまでのルートはどうするか、所用時間はどれくらいかかるかなど、調べなければならないことが沢山ある。
　幸いなことに明日、明後日と連休なので、一泊二日と言う手が使えることを考えれば行動範囲は大幅に広がるため、制約が少なくなる。
「ケーちゃん……」
「なんだ？」
「私も牧場、行ってみたいな♪」
「はぁ？お前まで何を言い出すんだ」
　恐れていたこととはいえ、現実のことになってしまった華允はさらに頭を抱えた。
　ファトラと一緒であればミーシャを説得することも可能であっただろう。事実、何度かそのようなことがあった。しかし、それはあくまでも低確率であって、ほとんどの場合はミーシャの主張にファトラが賛同する、あるいはその逆のパターンであった。そしてファトラがミーシャ側についてしまった場合は１００％説得はムリで、姉妹揃って同じ目的を達成するまで合唱を続けるからたまったものではない。
「ケイン……」
「ケーちゃん……」
　潤んだ瞳でみつめる姉妹を前に、華允はその願いを聞き入れるしかなかった。
「ああ、わかったよ。行きゃいいんだろ行きゃ」
「わーい！！やったー！！」
「ケーちゃんありがとう！！だから大好き！！」
　姉妹は華允の返答を聞くや否や、途端に大ハシャギを始める。
「甘いな、俺も……」
　華允はふっと小さく呟いたが、悪い気はしなかった。
　このところ高校に通い詰めであった華允も大きく息抜をしたいと思っていたところであった。
「ところで、ミーシャは行きたい牧場、あるのか？」
「うん！！あたし、郡戸（こうず）牧場に行ってみたい！！」
　華允の問いかけに、ミーシャは待ってましたとばかりに答える。
「郡戸牧場？」
　華允はその聞き覚えのある言葉に、なにか引っかかるものを感じた。
　確かにどこかで聞いたことがある。しかしその場所がどこであったか、またそれがなんであったか、思い出せずにいた。
「ケーちゃん……ひょっとして、ダメとか？」
　華允の様子を不思議に思ったファトラが、心配そうに尋ねる。
「あ、ああ、俺は別に構わない。じゃあ、一泊二日でいこっか」
「賛成！！」
「早速準備しなくっちゃ！！」
　華允の提案に姉妹は抱き合って喜び合う。
　まぁ、いっか……
　華允はそう思いながら郡戸牧場の所在地、ルートを調べ、そして翌朝目的地に向かって出発した。 　飛行機で二時間、さらに列車で一時間の長旅の始まりであった。