緑風館――古く、そしてとても堂々としている美しい木目の看板にはそう書かれていた。
　華允達が一泊二日で宿泊することになっている旅館で、その歴史は江戸時代にまで遡るらしく、なかなか風情があって落ち着いた雰囲気をもっている。
　あまりに急なことであったので宿の確保が出来るかどうか心配をしていた華允であったが、幸いシーズン・オフで、誰も泊まってないと言うことでむしろ歓迎された。
「いらっしゃいませ」
　建物の中にはいるなり着物を着た女将さんが三つ指を突いて出迎える。
「昨日電話した梓川ですけど」
「これはこれは。長旅お疲れさまです。ささ、どうぞこちらへ」
　華允達は女将の案内にしたがって、２階の部屋に招かれた。
　十畳くらいの大きさで、中央にはテーブルがあり、その上に茶菓子が置かれている。部屋の隅にはコイン投入式のテレビが鎮座し、この旅館の歴史を物語っていた。
「わぁ！いい眺め」
　荷物をおろしたミーシャが、窓の外から吹きこんでくる風に誘われるかのように窓辺に行き、そして感嘆の声をあげた。
　窓の外には澄み渡った青空と、そして広大な緑の草原が果てしなく広がっている。
　時折、牛がモォ〜というのどかな鳴き声を上げていた。
「静かでいいですね。自然に囲まれてのどかですし」
　華允は率直な感想を口にした。
　ここの環境が華允の住んでる場所と環境が少しだけ似ているということもあったのだろうが、華允はとてもこの旅館が気に入った。
「おそれいります。お客様にそう言ってもらえると、私共も助かります」
　女将さんはおほほ、と口元を隠すようにしながら笑う。
「なにかございましたら、その電話でフロントを呼んでください」
「ハーイ！わっかりましたー！」
　ファトラが元気いっぱいといった感じで返事を返す。
「元気なお嬢さんですね」
「ええ。元気過ぎて困ってますが」
　女将の言葉に、華允は思わず苦笑する。
　ファトラもミーシャも元気なのはいいのだが、その元気が少々カラ回りするのがたまに傷であった。
　そのため華允は「もう少し女の子らしくしてくれればいいのに……」と、何度思ったことであろう。
　しかし女将はそんな華允の気持ちを知ってか知らずしてか、クスクスと笑い出した。
「女の子は元気なほうがいいですよ。少しやんちゃなくらいが」
「そうですかぁ？」
「ええ。私にも一人娘がいるのですが、おとなしすぎるくらいでして。だからお二人を見てるととても羨ましく見えますわ」
「え？おばちゃん子供がいるの！？」
　ファトラが驚いたようにその言葉に敏感に反応した。
「お、おいファトラ！なんて失礼なこと言うんだ！！」
「えっ？だっておばちゃんはおばちゃんじゃないの？」
「バ、バカ！！そうじゃなくって……」
「ホホホ。いいんですよ」
　能天気なファトラの言葉に青くなる華允とは対照的に、女将は笑っている。
「私にもあなたと同じくらいの年頃の娘がいるの。だからもし、会うような事があれば仲良くしてあげてね」
「うん！！」
　はぁ……
　元気よく返事を返すファトラを見て、華允はこめかみの辺りをおさえて深いため息をついた。
　ファトラらしいと言ってしまえばそれまでなのだが。
「あれ？ケーちゃんどうしたの？」
「なんでもない……」
「変なの」
　ファトラはそんな華允の心情を知るよしもなく、ひたすらマイペースを貫いている。
「あ、それから浴場に関してですが、館内の大浴場は午前６時〜午前２時までで、室外にある露店風呂の方は２４時間いつでも入れるようになってますのでご利用ください。もっとも、露店風呂の方は混浴なんですが……」
「えぇ〜！？なにそれぇ〜！！」
　女将の説明に突然ミーシャが明らかに不服そうな声をあげた。そしてすかさず華允をビシッと指差す。
「ケイン！！あんたは露店風呂に入浴禁止！！いい！？覗いたりしたら許さないんだから！！」
「え〜？ミーちゃんなんでぇ？ケーちゃんと一緒の方が楽しいよぉ」
「お姉ちゃんがよくってもあたしがイヤなの！！」
　ミーシャはものすごい剣幕で断固拒否の姿勢を示す。もっとも、年頃の女の子と言うことではミーシャの反応はごく一般的なものではあるのだが。
「ちぇ。しかたねえな。せっかく久しぶりに、ミーシャのペチャパイが見れるかと思ったのによ」
「なっ……！！」
「あはは。じゃあな」
　華允は立ちあがると自分の荷物を持って部屋を出た。後ろからミーシャの「サイテー！！」とか「バカー！！」などとわめく声が聞えてくるが、気にしないことにした。
　実は華允とファトラ・ミーシャ姉妹の部屋は、別々にとっていたりする。
　隣同士とはいえ、華允はなんだか寂しい気持ちになった。