「……………………」
　時計は既に午前３時をさそうとしているだろうか。
　ふと眼を覚ましてしまった華允は、眠れない夜を過ごしていた。
　眠ろうとすればするほど、目が冴えていく。
　窓を明けるとさわやかな夜風がふきこんできて、美しく広がった夜空の星が、静かな波の音にあわせて、ぼんやりと海を照らしていた。
「……風呂にでも入ってくるか」
　華允はむくりと起きあがると、新しいタオルをもって部屋を出た。
　ファトラとミーシャは隣の部屋に泊まっているため、その様子を窺い知ることはできない。
「あいつら、寝てるのかな？ま、いっか」
　華允はそのまま浴場へと向かった。旅館の中は静まり返っており、耳を澄ませば波の音が聞えてきそうだ。
「そう言えばここって露天風呂もあったんだよな……」
　華允はふと、風呂に入ってた時小耳に挟んだ宿泊客の会話を思い出した。
「露天風呂、か……」
　露天風呂と言えば、華允には郡戸温泉の時に入れなかった苦い思い出がある。
「そうだな。露天風呂にも入ってみるか」
　華允は進路を浴場から露天風呂へと変更した。
「ふぅ、朝風呂にはちょっと早いけど、いっか」
　華允は男湯の脱衣所へと入った。
　灯かりがついているだけで誰もいない。
「やっぱみんな寝てるのかな。ま、その方がのんびりできていいけどな」
　華允は早速身につけているものを脱いで籠の中へ入れた。
　そしてタオルをもって、露天風呂へと入っていった。
「うわっ……すっげーな……」
　華允はその光景の神秘的な美しさに思わず圧倒された。
　きらめく夜空にむかって広大な露天風呂から白い湯気が立ち上っており、前方には無限に広がる海を見渡せるようになっている。それはまさしく、自然の創り出した美そのものであった。
「ああ、ここにきてよかった……」
　華允は湯船につかると、静かに眼を閉じた。
　波の音の安らぎによって幸せな夢見心地の気分になる。
　コバルトブルーに染まった海の中で、珊瑚の大群がゆらゆらと揺れている。そして様々な魚達が踊り群れるところを、楽しそうに人魚が泳ぎ回る。
　やがて人魚は遊び疲れ海面に顔を出すと、近くにあった岩に腰掛け美しい歌声で、月明かりに照らされながら甘いメロディを奏で始める……
「いいなぁ……」
　華允はそんなほのぼのとした幻想を思い浮かべ、思わず溜息をつかずにはいられなかった。
　バシャバシャバシャ……
　ふと、どこからか誰かが泳いでるような音が聞えてきた。
　海からではない。どうやらこの露天風呂の中で誰かが泳いでいるようだ。
「まったく……誰だよ。せっかく人がいい気分になってるっていうのによ……」
　華允はせっかくのいい気分を台無しにされたようで、とても不愉快な気分になった。すくっと立ちあがるとその音のする方角へと進んでいく。
「風呂の中でなんか泳ぐなよな。まったく……」
　進むに連れて、どんどん湯煙のおかげで視界が悪くなっていく。だが、音はどんどんと大きくなっていった。
　やがて、人影らしき物が湯煙の中にポツンと浮かび上がった。
「もう少しマナー考えて欲しいよな」
　華允はブツブツと文句を言いながら、その人影の肩にポンと、手を置いた。
「おい、こんな風呂の中で泳ぐんじゃない。他の客が迷惑するだろうが」
「えっ？あ、ごめんなさ……」
　その人影が華允に振り向いた瞬間、ぴゅうっと突風が吹いて湯煙が風に流されていった。
　そして、お互いの姿がはっきりと確認しあえる状況になる。
　華允が肩を叩いた相手は、彼のよく知っている人物であった。
「きゃああああああああああ！！」
　少し間をおいて、その人物は悲鳴を上げた。同時にパーンという大きな音と共に強い衝撃が華允の両頬に襲いかかる。
「変態よ！！変態！！」
　ザバーン、と大きな音としぶきをたてて、その人物は身を隠すように温泉の中へと身を沈めた。
「いてーな！！いきなりなにすんだよ！！」
「それはこっちのセリフよ！！なんでアンタがここにいるのよ！！」
　その人物、ミーシャは顔を真っ赤にしながら巻いてある黄色いタオルが落ちないように胸の辺りを抑えながらキッと華允を睨んだ。
「俺は露天風呂に入りにきたにきまってるじゃねーか。なんで男湯にお前がいるんだ！？」
「男湯って……失礼ね！あたしはちゃーんと女湯の方から入ったんですからね！」
「……ってことは、ここってひょっとして……」
「混浴だったの！？しんじらんなーい！！」
　ミーシャが悲鳴を上げる。
「どうしたのミーちゃん？」
　その声を聞きつけて、ザバッと水面から人影が飛び出してきた。
「あ、ケーちゃん。おっはよ」
　ふるふるふる、と青い髪をなびかせながらその人物はニッコリと微笑んだ。
　その姿を見て、華允は耳元まで真っ赤になってしまった。
　少し日焼けの跡が残っているほんのりと紅く染まった肌。
　少し小さい発展途上の胸。
　何も身につけてない、生まれたままの姿……
「お、お姉ちゃん！！」
「バババ、バカ！！はよタオルとってこい！」
「え？なんでー？」
「いいからはやく！！」
「アンタ、あっち向いて！！」
「わかったよ。変なのー」
　ファトラは不思議そうな顔をするとバシャバシャバシャと勢いよく音を立てながらどこかへと向かっていった。
「はぁ……まったく、ファトラももう少し自覚を持って欲しいよな……」
　華允が深いため息をつきながらチラッとミーシャをみると、彼女はジド目で睨んでいた。
「な、なんだよ……」
「お姉ちゃんの裸みたでしょ……」
「え、あ、あれは、その、不可抗力だ」
「見たことには変わりないじゃない！！この変態！！」
「バ、バカ！なんてこというんだ！！」
「変態は変態よ！！変態じゃなかったらどスケベ大王だわっ！！」
「なんでそうなる！？俺はなんにも悪くないじゃないか！」
「いいえ！！こんな時間にはいってくるアンタがいけないの！！」
　華允とミーシャが睨み合っているところへ、タオルを体に巻いたファトラが戻ってきた。
「たっだいまー」
「ただいまじゃない！！お前は普通にはいれんのか？」
「え？わたし普通に入ってたよ？」
「泳ぐことが普通かよ」
「だって泳ぐと楽しいよ？」
「お前が楽しくっても、他の客が迷惑するだろうが」
「大丈夫だよ♪今はケーちゃんとミーちゃんしかいないから」
「とにかく！誰が見てるかわかんねーんだから、これからは気をつけろよな」
「そうだよお姉ちゃん。こんな変態がいつのまにか紛れ込んでるかも知れないんだから」
　華允にあわせて、ミーシャが棘のある言葉で賛同する。
「あーあ、せっかく楽しい１日だと思ったのに、最後の最後でぶち壊されたわ」
「そうかな？わたしは結構楽しかったよ。ケーちゃんと一緒にお風呂はいることできたし♪」
「お姉ちゃんは気楽でいいわね……」
　ブスッとふくれながらミーシャは口元まで温泉に浸かっていった。
「ところでケーちゃん、そのほっぺたどうしたの？すっごく日焼けしているようだけど」
「お前のせいだ、お前の？」
「えっ？」
「いや、なんでもない。ほんとヒリヒリするよ」
　華允はその２つの手形がついた赤い頬を隠すように、ミーシャと同じく温泉に身を沈めた。
「ケーちゃんもミーちゃんも変なの」
　ファトラは不思議そうな顔をしながら、夜空を見上げていた。