「まぁくん、大丈夫？」
「うん、大丈夫だよ」
「滑りやすいから気をつけてね」
「う、うん」
　暗闇に包まれた雪道を、真人と理沙は話しながら歩いていく。
　あの時止まってしまった時間。
　あの時凍りついてしまった幼き日の思い出。
　それが今、静かに動き出している。
　振り子時計のネジを巻いたように、再び時を刻みだしている。
　なのに……
　言葉が上手く、出てこない。
　話したいことはいっぱいある筈なのに、口にすることができない。
　真人の心の中はもどかしさでいっぱいであった。
「ほら、着いたよ」
「えっ？」
「『え？』じゃないでしょ。まぁくんだって来たことあるんだから」
「そうだね」
　真人は思わず苦笑する。
　そして懐かしさのあまり、感慨に浸った。
　幼い頃、冬になると両親に連れられてこの家に遊びに来たものである。
　あの頃とちっとも変わってない。
　むしろあの頃から時が止まってしまっていたかのようだ。
「そう言えば爺ちゃんと婆ちゃんは？」
「一昨年死んじゃった」
「え？死んだ？」
　真人はその言葉を聞いて、一瞬言葉を失った。
　真人は父方の祖父と祖母のことを、あまり快く思っていなかった。
　例えば、父と母の結婚に猛反対していたこととか。
　例えば、母に対していつもきつくあたっていたこととか。
　例えば、両親の葬儀の後、自分を引き取らずに叔父夫婦に押し付けて、叔母を無理やり連れ去って行ってしまったこととか。
　遊びに行くと、いつもお小遣いをくれたり、民話を聞かせてくれたり、一緒にたけのこ採りに行ってくれる、母方の祖父母とはえらい違いであった。
　その優しい祖父母も、四年前に既に他界しているのだが。
「そっか……死んじゃったんだ……」
　真人はポツリと呟く。理沙の表情が少し曇った。
「……やっぱり、お爺ちゃんとお婆ちゃんのこと恨んでるんだ？」
「えっ……」
　理沙の思いがけない一言に真人は絶句した。しかし理沙はお構い無しに言葉を続ける。
「仕方ないよね。まぁくんに、アレだけ辛く当たってたんだもん」
「…………」
「でも、まぁくんにとってはおっかないおじいちゃんとおばあちゃんでも、私にとってはかけがえのないお父さんとお母さんだった……」
「…………」
「だから、今はまぁくんと同じ一人ぼっち、かな？」
「姉さん……」
「……なーんてね。ほら、なに暗い表情してるのよ。さ、はいって」
「う、うん……」
　理沙は一方的に話を打ち切ると、真人を家の中へと促す。
　姉さん、なんだかちょっと寂しそうだったな……
　真人の心が少し痛んだ。
　真人の記憶の中では祖父と祖母は恐い人、と言う印象しかない。
　もともと父と母の結婚にも反対していたので、真人のことも厄介者としか思っていなかったのであろう。実際、そんな態度も時折見受けられた。
　それでも真人がここに来たのは、理沙がいたからである。でなければ誰も好き好んでこんな所に来たりしない。
　両親を亡くした後、真人は叔父夫婦に引き取らた。そして現在に至っている。
　だから実の子同様にかわいがってくれた叔父夫婦には、いつでも感謝の念が絶えなかったりする。
「おじゃまします」
　真人は玄関に靴を脱いで、家の中へとあがった。
「もう、そんなに他人行儀にならなくってもいいよ」
　後から来た理沙が、二人の靴を揃えて家の中にあがる。
「で、でも一応俺の家じゃないわけだし……」
「大丈夫よ。まぁくん、お兄ちゃんとお義姉ちゃんのたった一人の子供なんだし、それに……」
「それに？」
「まぁくん、冬休みの間はこっちにいるんでしょ？」
「う、うん……一応……」
「だったら、この家はまぁくんの家にもなるわけだから、そんなこと気にしなくって大丈夫だよ」
「姉さん……」
「なあに？」
「ありがとう」
「どういたしまして」
　理沙はにこやかに微笑むと階段を上がっていく。
　この広い家に今まで一人で住んでたのか……
　今まで姉さんはどんなことを思いながらこの家で暮らしていたのだろう。
　ふと、真人はそんなことを気にしながら、理沙の後をついていく。
　理沙は二階のある一室のドアの前で立ち止まった。
「はい、ここが今日からまぁくんの部屋だよ」
「えっ？ここって……」
　真人は一瞬ドキッとする。その案内された部屋は、昔理沙が自分の部屋として使っていた部屋であった。
「どう？懐かしい？」
「うん……懐かしいよ」
「まぁくんいっぱいこの部屋でイタズラしたもんね。食べ物食べ散らかしたり、壁に落書きしたり、クローゼットの中あさったり……」
「ね、姉さん！！」
「うふふ。冗談よ」
　理沙は悪戯っぽく笑う。
「それじゃあ、お夕飯できたら呼ぶから、ゆっくりくつろいでいてね」
「うん、わかったよ」
　理沙はそれを聞くと、微笑だけを残して部屋を後にした。
「ふぅ……」
　真人は疲れきった体をベッドに投げ出し、天井を見上げた。
「懐かしいな……」
　真人の心の中が懐かしさでいっぱいになっていく。
　いつまで使っていたかは知らないが、ここは間違いなく理沙の部屋だったところだ。
　そのためだろうか。どことなく落ちついた雰囲気が感じられる。
　真人が来るのを予見していたのかはわからないが、部屋もきちんと掃除されていた。
「あのころに戻りたいな……」
　そんな言葉がふと、真人の口から漏れる。
　それほど、この部屋には思い出がいっぱい詰まっていた。
「姉さん……ありがとう……」
　真人は理沙に感謝せずにはいられなかった。