「しっかし暑っついなぁ……」
　紗伊阿九斗は額から滴り落ちる汗をぬぐいながら、空を見上げた。
　この季節らしく、カンカンに照りつける太陽の熱線が、容赦なく突き刺さり、汗が否応なく噴出してくる。
　そんな暑さの中で、阿九斗は独り草むしりに勤しんでいた。
　何故自分独りがこんな理不尽な扱いを受けなければいけないのかと、疑問に思わないでもなかったが、これには様々な事情が絡み合っているため、断ることが出来なかった。
　ひとつは、阿九斗自身がお人よしであること。人から物を頼まれたら、なかなか断れない性格である。
　そしてひとつは、大司祭を目指す者としては、常日頃善行を心がけていること。学び舎の環境美化の悪化は見過ごすことは出来ない。
　さらにひとつは、生徒会長リリィ白石からの要請であった事。風紀委員だから適任者という、よくわからない理由で体よく押し付けられてしまった。
　そして最後にひとつ、これが一番重要なことだが、阿九斗自身が魔王の烙印を押されてしまっていること。不可抗力とはいえ、校舎の破壊は日常茶飯事。そのため、周りが阿九斗に抱いている印象はいいとはいえない。むしろ最悪と言える。だから、少しでも周りの印象をよくする必要があった。もっとも、これは、リリィの助言もあったが。
「おっ。しっかりやってるね。関心関心」
　その仕事を押し付けた張本人、リリィがジュースの缶を持って様子を見に来た。
「いやぁ、悪いねぇ。こんな仕事押し付けちゃって。でも、生徒会としてはこの事態を見過ごすことはできなくてね。大分綺麗になったんじゃないか？」
「ええ。でもまだまだたくさん生えてますけど」
「謙遜することないよ。僕だって悪いと思ってるんだよ？こんな暑い中、君一人にこんな作業押し付けちゃってさ」
「まったくですよ」
「だから悪いと思ってるって言ってるだろ？……どうだい？お詫びもかねて、これが終わったら、お風呂で汗を流すついでに僕が君の体を洗ってあげるって言うのは」
「ええっ！？」
　リリィの言葉を聞いて、阿九斗は顔を真っ赤にする。
　それを見たリリィはケタケタと笑い出した。
「あはははは。冗談だよ冗談。本当、君は純情だねぇ。はいこれ。僕からの差し入れだ」
　リリィは持っていた缶ジュースを阿九斗の頬に押し当てた。
「つっ！！」
　阿九斗は突然の冷たい刺激に、思わず顔をしかめる。
「どうだい？よく冷えてるだろ？なんたって、さっき買ったばっかりだからねぇ」
「あ、ありがとうございます」
　阿九斗は礼を言うと、それを受け取った。
「なんなら、口移しで飲ましてあげようか？」
「い、いいですって」
　阿九斗はリリィの申し出を拒否する。
「だから冗談だって。君は本当に純情だねぇ。からかい甲斐があるよ」
　リリィは再びケタケタと笑った。
「まったく……」
　阿九斗はため息をつく。
　どうも阿九斗の周りには、変な人種が集まってくる傾向がある。それが阿九斗が望むにしろ望まないにしろ、だ。
「リリィ白石！阿九斗様から離れなさい！！」
　そして、突然現れた闖入者も、その『変な人種』の一人だったりする。
「おやおや。これは寮長じゃないか。どうしたんだい？」
「どうしたもこうしたもありません！先程から聞いていれば阿九斗様に対する破廉恥な発言の数々！例え阿九斗様が許しても、この私が許さなくてよ！！」
　リリィの言葉に、江藤不二子は般若のような形相を浮かべて、ビシッと彼女を指差す。
「……やれやれ。騒がしいことで。僕は騒がしいのは苦手なんだ。すまないが、この辺で退散させて貰うよ」
　リリィは肩をすくめると、阿九斗に「じゃ」と一言別れの挨拶を言って、その場を立ち去った。
「まったく、何なんですのあの女は？」
　入れ替わりに、不二子が阿九斗に近寄ってくる。
「阿九斗様ぁ。この炎天下の中、草むしりご苦労様です。あの……これ、差し入れです」
　そして甘える仕草で持っていた液体の入った瓶を阿九斗に差し出す。
「えっ！？あ、ありがとう……」
　阿九斗は戸惑いながらその瓶を受け取る。
　その瓶に入っている液体は、紫色を濃くしたような色で、明らかに毒々しい色をしている。
　それを飲んだら危ないと、阿九斗の本能が告げていた。
「さささ、グググ、っといってくださいまし」
　不二子は瞳を潤ませて、阿九斗を見つめている。
「…………」
　阿九斗はリリィから受け取った缶ジュースと不二子から受け取った瓶を見比べた。
　飲むとするなら、断然リリィから受け取った缶ジュースの方がいいに決まっている。
　しかし、瓶を受け取ってしまった手前、今更不二子に返すわけにもいかない。
「あ、あのさ。ちょっと聞くけど……」
　阿九斗は恐る恐る、不二子に尋ねた。
「これ、何？」
「精力剤ですの」
「精力剤？」
「はい。材料は企業秘密ですけどね」
　不二子はウインクしてみせる。
「精力剤ねぇ……」
　阿九斗は再び瓶を見た。どう見ても毒薬にしか見えない。
　すると不二子は、急にモジモジしだした。
「どうしたの？先輩」
「あ、阿九斗様。お疑いでしたら、その……私が口移しで、飲ませて差し上げても……」
「ええっ！？」
　不二子の唐突な言葉に、阿九斗はドキッとした。
　どこをどうしたら、この毒薬もどきを口移しで飲ませる話に飛躍するかわからないが、とにかく飲むしか選択肢はなさそうだ。
「き、気持ちだけ受け取っておくよ、ははは……」
　阿九斗は覚悟を決めると、瓶の中にはいっている液体を一気に飲み干した。
「うっ……！」
　そして阿九斗の意識は遠のいていった。

　気がつくと、阿九斗はベッドに寝かされていた。
「ここは……？」
　軽く辺りを見回し、そこが自分の部屋だということを認識する。
「気がつきましたか？」
　ベッドの傍に座っていたころねが、阿九斗に声をかける。
「貴方は不二子さんの毒薬を飲んで倒れたので、私の判断でここに運ばせていただきました。顔色が土気色になっている貴方を見た時は流石にヒヤリとしましたが、ご安心ください。解毒剤は投与しておきましたから。もちろん、口移しで」
「ええっ！？」
　ころねの言葉に阿九斗はドキッとしながら口元を押さえる。
「冗談です」
　しかし、そんな阿九斗の行動を見て、ころねはフッと笑った。
「あのなぁ……こんなときに冗談なんて言うなよ」
「それは申し訳ございません。でも、貴方が危篤状態だったのは事実です。そして不二子さんが取り乱していたのも。どうやら、彼女は本当に貴方に元気になってほしくって、栄養ドリンクを調合していたようですね。しかし、調合の過程で、思いがけないハプニングが起こってしまった……」
「ハプニング？」
　ころねの言葉に、阿九斗は首を傾げる。
「……ごめんね、あーちゃん」
　その疑問を答えたのは、もう一人の看病者、曽我けーなであった。
　けーなは申し訳なさそうに、阿九斗に真相を打ち明ける。
「江藤先輩があーちゃんのために栄養ドリンク造ってるって聞いたから、あたしも栄養のつきそうなものを混ぜてもらおうと思って、いろいろ探してたの。そしたら、とっても綺麗なお花があって……」
「ま、まさか、それを混ぜたんじゃ……」
「その、まさかです」
　けーなの代わりに、ころねが答える。
「けーなさんが不二子さんの調合ドリンクに勝手に混ぜてしまったのは、実は猛毒の花で、それを貴方が飲んでしまった、と。ズバリ天罰ですね」
「待て待て待て！！どうしてそうなる！！」
　最後の言葉に、阿九斗は猛抗議をする。
「冗談です」
　しかしころねは、いつもと代わらぬ涼しい顔で、いつもの台詞を言った。
「まったく……」
　阿九斗は大きくため息をつくと、けーなをチラッとみた。
「……で、君は何でそんな格好しているの？」
　阿九斗は率直にけーなに尋ねる。
　けーなは制服ではなく、肌にエプロンをまとった姿でいた。
「えっとね、あーちゃんにいっぱいご飯食べてもらうため、かな？」
「はぁ？」
　意味が理解できない言葉に、阿九斗は素っ頓狂な声を上げる。
「だって、あーちゃん毒薬飲んだんでしょ？だったら、白いご飯をたっくさん食べなくちゃ。大丈夫。つやつやのほかほかご飯は、毒を消す強力な作用持ってるし、栄養も満点だから。それにね、あーちゃんみたいなエッチな男の子は、女の子がこーゆー格好すれば、いっぱい食べてくれるって、ころねちゃんが」
「ま、待て待て待て！！いろいろ間違ってるぞ、それは！！」
「いいえ、間違っていません。貴方の感情は、今まさに血に飢えた野獣状態ですね。心拍数が増大しています」
　横からころねが口を挟む。
「これはもう、一刻も早くご飯を食べさせないといけませんね。というわけで、私もけーなさんと同じ姿になりたいと思います」
「えっ！？ちょ、ちょっと！！」
　阿九斗が止める間もなく、ころねは制服を脱ぎ捨て、裸エプロン姿になる。
「どうしました？もう我慢できませんか？」
　ころねは悪戯っぽく笑う。
「あのなぁ……僕は、こーゆー冗談はあまり好きじゃないんだ。悪いけど……服、着てくれるかな？」
「……冗談じゃないと言ったらどうします？」
「えっ！？」
　ころねの言葉に、阿九斗はさらに心拍数を上げる。
「……冗談です」
　しかしころねは、フッと笑った。
「あのなぁ……いい加減にしてくれよ。本当に怒るよ？」
　阿九斗は大きくため息をついた。
「ごめんなさい。少しやりすぎました」
　ころねは頭を深々と下げる。
「ですが、この状況を見て、冗談と捕らえない人もいるでしょうね」
「はぁ？」
　ころねの意味深な言葉に、阿九斗の体に一瞬悪寒が走り抜ける。
「あ、あの……入るぞ……」
　まるでその悪寒が具現化するかのように、部屋の戸が開いた。
　そして、入ってきた少女は、部屋に入るなり、固まった。
　無理もない。男の部屋に、二人の少女がいかがわしい格好でいるのだから。
「ききき、君達、一体何をしているんだ！？」
　その少女、服部絢子は震える声で二人に尋ねる。
「何って……あーちゃんの看病」
「貴方も阿九斗さんに口移しでご飯を食べさせてあげるために来たのですか？」
「！！」
　けーなところねの言葉に、絢子は身を震わせると、木刀を取り出した。
「は、服部、さん……？」
　ヒシヒシと迫り来る危険をこれでもかというくらい肌で感じ取った阿九斗は、冷や汗を浮かべながら、絢子に微笑みかける。
「こ、これは、その、違うんだ。けーなところねが勝手に……」
「紗伊……阿九斗！！貴様、なんていかがわしい事を！！この場で即刻、成敗してくれるーーーー！！」
　何故か涙声になりながら、木刀片手に絢子は阿九斗に襲い掛かる。
「修羅場ですね」
「お前が言うなー！！」
　ころねの言葉に阿九斗は即ツッコミを入れる。
　そしてそのまま、阿九斗の部屋は修羅場と化したのであった。