燦々と輝く灼熱の太陽の熱線を全身に浴びながら、湖潤リリス、霧城七衣、鈴科流水音の三人はお盆を持ってせわしなく動き回っていた。
「焼きそば二人前、お待たせなのっ！」
「サイダーとコーラ、お待たせしましたぁ」
「味噌ラーメンとチャーハンとカキ氷追加で！」
　客から注文をとり、お盆に載せた注文品を客の前に置いて、そして厨房へと戻っていく、単調な作業の繰り返し。
　しかしその単調な作業が想像以上の重労働で、この海の家のユニフォームである「みかん」と書かれたＴシャツが汗でびしょ濡れになっており、その下に着用している水着がうっすら見える状態になっていた。
　その姿のせいもあってか、海水浴客がひっきりなしにやってきて、三人の忙しさに拍車をかける事態に陥っている。
「いやぁ、すまないねぇ。こんなにお客が来るなんて初めてだよ」
　奥からこの海の家の主人である初老の男性が声をかけてくる。
「いえいえ。気にしないでください」
　流水音が笑顔で言葉を返した。
　いろいろ反論したいことはあるが、反論したところでどうにもならない。
　むしろ、自分達が置かれている状況を、悪くするだけかもしれない。
（本当、めんどくさい事になっちゃったわね……）
　流水音は心の中でため息をついた。
　何故流水音達が海の家で働いているのか。事の成り行きを簡単に説明しよう。
　リリス、七衣、流水音の三人はカラオケボックスで歌を歌っていた。すると突然、美しい歌声が聞こえてきたかと思うと、目の前がグニャグニャ歪み、気がついたら海岸に立っていた。そして目の前にいた初老の男が「私があなた達を呼んだのですよ」と流水音達に告げた。
　聞けば、初老の男性が経営する海の家が、今日をもって店仕舞するため、応援を呼んだのだという。
　リリス、七衣、流水音は相談の末、その海の家「みかん」の手伝いをすることにした。それが元の世界に帰るための手段だと判断したからである。
　そして、水着に着替えて、海の家「みかん」のユニフォームであるＴシャツに着替えて、手伝いを行っているのだ。
　その水着についても一悶着あり、流水音がワンピース型の水着を着用したところ、リリスと七衣と、何故か店の主人から「その水着ダサすぎる！」とダメ出しを食らってしまい、ビキニに変えるというハプニングがあったりする。
　また、リリスはこちらの世界に来た時には既に、妖精の面影のままで、身長が舞波優希くらいに、羽をなくした人間型に変身していたので、ダメ出しをされた腹いせとばかりに、流水音に強制的に水着を指定されてしまったりする。
「すまんが嬢ちゃん、厨房手伝ってくれるか？」
　あまりの注文の多さに流石に一人ではさばききれなくなってきた初老の男性は、流水音を厨房へ呼んだ。
「はいはい、わかりました」
　流水音はお盆を持ったまま、厨房へと入っていく。
「すまないね。一人だけだと、大変で」
「いえいえ」
「じゃ、早速着替えてもらって」
「わかりましたよ」
　流水音は渋々Ｔシャツを脱ぎ、水着の上にエプロンを着用する。
　水着の上にＴシャツを着るのも、水着の上からエプロンを着用するのも、この海の家のルールらしい。このルールを説明された時、リリスと流水音は当然の如く反発したが、結局は七衣に説得されてしまった。そして、渋々従っている。
　また、店を開ける前の厨房での仕込みは、三人仲良く水着エプロン姿で料理の仕込みを行っていた。
「いやぁ、ホントすまないね」
「いえいえ。お気になさらないでください」
　流水音はフライパンの柄を握る。
「色っぽく振ってもらえるかの。死んだ母さんを思い出すから」
「はいはい、わかりましたよ」
　流水音は引きつった笑顔のまま、フライパンを振った。

　客足が落ち着いてきたので、初老の男性の発案で、外へジュースの販売も行うことになった。
　氷を敷き詰めたクーラーボックスに、ジュースのペットボトルが入っている。
「……で、問題は誰が売りに行くかなの」
　リリスは難しい顔をしながら、クーラーボックスとにらめっこをしている。
「あたしはちょっと……」
　流水音も否定的な意見を述べる。
「……それじゃあ、これで決着をつけるしかないですねぇ」
　七衣が拳を突き出した。
　リリスと流水音も、無言で頷く。
　わずかばかり流れる沈黙。吹き抜ける浜風。
　そして――
「じゃん・けん・ぽん！」
　三人は同時に手を出した。
　リリス、七衣はパーで、流水音はグーを出している。
「やったああああああ！！」
「勝てましたー」
　リリス、七衣は飛び上がって喜んだ。
「負けたああああ！！」
　対照的に流水音はガクっとうなだれる。
「まったく、何であたしばっかりこんな目に……」
　流水音はため息をついた。
「ほら、文句言わない言わない」
「そうですよぉ。正当な勝負ですからぁ〜」
「ああ、もうわかってるわよ！」
　流水音はＴシャツを脱ぐと、サンバイザーを装着して、クーラーボックスの紐を肩にかけた。
「日焼けしたくないんだけど……」
　そして、ため息をつくと、海の家を出て砂浜を歩き出した。
「えー、ジュースはいかがですかー？よく冷えてますよー」
　響き渡る声で宣伝をしながら、砂浜を歩き回る。
「流水音、よく頑張るの」
　その様子を眺めながら、リリスがコップに入ったオレンジジュースを、ストローを使って飲みながら感想を述べた。



「ホントですねぇ〜。……あっ、お客さんみたいですよぉ〜」
　七衣がぽてちをかじりながら、興味深そうに言う。
　その視線の先には、流水音に駆け寄る、流水音と同じような髪の色の少女の姿があった。
　しかし少女は、流水音に声をかけるでもなく、そのままそばを通り過ぎていく。
「お客さんじゃなかったの」
「違いましたねぇ……」
　リリスと七衣は面白くなさそうに呟いた。

　ずっと働き詰めだったリリス達も、客足がまばらになってきたので、やっと休憩時間がやってきた。
「いやぁ、ご苦労さん。これ、ボーナス」
　初老の男性が、リリス達が座っているテーブルに、冷えたスイカを置く。
「いっただっきまーす！」
「いただきますぅ」
「それじゃあ遠慮なく！」
　三人は勢いよくスイカに手を伸ばすと、スイカにかじりついた。
「甘くておいしいの！！」
「よく冷えてますねぇ」
「労働の後のスイーツは最高！！」
　三人は至福の表情で、スイカをむしゃむしゃ食べる。
「そうかいそうかい。たくさんあるからどんどん食べてくれ」
　初老の男は、嬉しそうに言うと、しんみりした表情になった。
「本当、今日は助かったよ。最後の最後で、こんなにお客が入った海の家を見ることが出来て。思えばいろいろここではあったけど、最後に楽しい思い出を残せてよかった。本当、ありがとう」
「気にしないでほしいの。リリス達も好きでやってることだから」
「そうですよー。持ちつ持たれつ、ですよ」
「まぁ、いい経験になったわね」
　三人は笑顔で応対する。実際、流水音の言ったとおり、今回の出来事はまたとない経験であった。充実感と達成感が、三人を心地よく包み込む。
「ところで、君達への謝礼は、事務所に渡しておけばいいのかい？」
　初老の男性の言葉に、三人はピタリと手を止めた。
「事務所？」
　顔を上げた流水音が、困惑した様子で尋ねる。
「えっ？だって君達、私が知り合いの芸能プロダクションにお願いして派遣してもらった、モデルさん達だろ？」
「！？」
　初老の男性の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「ち、違うのかい？」
　初老の男性は戸惑ったように、三人を見る。
「あ、あたし達は……」
　流水音が事の経緯を説明しようとした時、どこからともなく歌声が聞こえてきた。
　リリス達をこの世界に連れてきた、あの、綺麗な声の歌声が。
「ま、まさか！！」
　リリス達に嫌な予感が走り抜ける。
　突然、目の前の空間が捻じ曲がっていき、体の感覚がなくなっていく。
　そして意識が遠のいていった。

「う、うーん……」
　気がつくと、リリス達はピアノの前にいた。
　それがあまりにもよく見慣れたピアノであったため、そこが音楽室であるということに気がつくのに、さほど時間はかからなかった。
「リリス達、戻ってこれたのかなぁ？」
「そのようですねぇ」
　リリスの言葉に、七衣が頷く。
「まったく、何だったのかしらね。あの歌声は」
　流水音は疲れきった様子でため息をついた。
「でも、戻ってこれてよかったわね」
　そしてようやく、笑顔になる。
「本当、あんな体験こりごりなの」
　リリスも笑った。
「まったくですねぇ」
　つられて七衣も笑う。
　三人の少女の愉快な笑い声が、音楽室の中に響き渡る。
「……何やってるんだお前ら？」
　しかし、そんな三人の声を中断させる声が割り込んできた。
　三人が後ろを振り返ると、そこには桐生真の姿があった。
　しかし三人は、その真の姿に違和感を覚えた。
　何故か戸惑った様子を見せているのである。
「どうしたの桐生？」
　リリスが不思議そうに尋ねる。
「どうしたって……俺は音楽室に用があったから来ただけなんだが、お前らこそ一体どうしたんだ？急に目の前に現れたと思ったら、そんな格好してるし……」
「そんな格好？」
　真の言葉に、三人はそれぞれの姿を見る。
「！！」
　そして、三人は絶句した。それぞれがどのような姿をしているのか、今になってようやく認識したのである。
　三人とも、海の家で着ていた水着姿であった。右手にはお盆を、左手にはマイクを握っている。
「おまえら、かくし芸かなんかの練習か？」
「……キャー！！」
　三人は悲鳴を上げると、持っていたお盆とマイクで真に殴りかかっていった。