晴風クラスの機関長柳原麻侖と機関助手の黒木洋美は、二人で工具を片手に、船の上で小型エンジンを触っていた。
彼女達の作業着でもあるセーラー服に身を包み、黙々と作業が続けられる中で、静かに工具を扱う音が響き渡る。
絶好の機械弄り日和とでも言うのだろうか。
澄み渡った青空からまばゆいばかりの陽射しが降り注ぎ、水面がキラキラと光り輝く。
時折吹き抜ける潮風が、彼女達の慣れ親しんだ機械油の臭いを吹き流していく。
「ふぅ、こっちは後もうちょっとで終わりでぃ。クロちゃん、そっちは？」
麻侖はツーサイドアップの髪をかき上げるかのように額の汗を手の甲でぬぐい、相方に声をかけた。
「こっちもあとちょっとで終わるわ」
洋美はロングヘアーを潮風に揺らしながら、カチャカチャと、ナットを手早く締めていく。
阿吽の呼吸で無駄なく作業が行われているため、一度分解されたはずのエンジンは、瞬く間に組み上がっていた。
「それにしても、マロンと二人でこんな事するのは久しぶりね」
「まったくでぃ」
洋美の言葉に、麻侖も作業を続けながら、相づちを打つ。
夕食は同じ機関科の伊勢桜良、若狭麗緒、広田空、駿河留奈と食事をすることになっている。
時間は十分にあるが、相手が機械である以上、どんなトラブルが待ち受けているかわからない。
もっとも、晴風クルーにそのことを尋ねれば10人中8人が「杞憂」と答えるくらい二人の腕は確かであったが、二人とも作業が終わる最後まで、気を抜かないようにする生真面目な性格であった。
「これで良し……っと」
洋美は担当分である最後のナットを締め終えると、麻侖に声をかけた。
「こっちは終わったわよ。そっちは」
「こっちも終わりでぃ」
麻侖もナットを締め終えると、制御装置のスイッチをONにし、少しばかり距離をとる。
程なくしてドゥルン、ドゥルンと音を立てて、エンジンが動き出した。
麻侖と洋美は、互いの顔を見て微笑む。
「流石だね」
突然、エンジン音に割り込んでくるかのように、少女の声が飛び込んできた。
二人は声がした陸の方を見ると、そこには。セーラー服の上にコートを着た少女が、ポケットに手を入れて立っていた。
靴のかかとを踏みつぶし、肩まで掛かった黄色がかった白髪が、風にゆらゆらと揺れている。
「なんでぃあんたは？」
麻侖は制御装置のスイッチをオフにして、首をかしげた。
横須賀女子海洋学校の制服を着ていることから、同じ学校の生徒であることには間違いない。
しかしその少女は、麻侖にとって全くの初対面の生徒であった。
それは洋美も同様で、少女の姿に「この子誰？」と言った表情を浮かべている。
「私は、明石艦長の杉本珊瑚」
少女は自分の名前を名乗った。
二人は顔を見合わせてハッとする。
杉本珊瑚――その名前には聞き覚えがあった。
忘れもしない赤道祭。
パーシアス作戦に向けて停泊中だった晴風の補修や補給を行い、その慌ただしい最中開催された赤道祭の手伝いをしてくれたのが、明石と間宮であった。
その片割れ、明石の艦長が来たというのだから、穏やかではない。
「その艦長さんが、なんの用だってんでぃ？」
「妙な噂を耳にしてね。それを確かめに来た」
「妙な噂？」
珊瑚の言葉に、麻侖は眉をひそめる。
「ああ」
珊瑚はコクンと頷く。
少しばかり沈黙が流れる。
張り詰めた空気が辺りを支配する。
麻侖と珊瑚の間を、乾いた潮風が吹き抜けた。
ただ事ではない様子に、洋美はゴクンと唾を飲み込む。
「単刀直入に言う。明石に来てくれ」
『なっ！！』
珊瑚から発せられた予期せぬ言葉に、麻侖と洋美は絶句した。
もしこれが、一般生徒の言葉であったのなら、ただの戯れか冗談で済まされる発言である。
しかし、相手は明石の艦長であった。言葉の意味は重い。
「それって、つまり……！」
「冗談じゃねぇ！」
洋美の言葉を遮るかのように、麻侖は声を荒げて激昂する。
「やぃやぃやぃ！マロンとクロちゃんの艦はなぁ、明石なんかじゃなく晴風だってんでぃ！おととい来やがれ！」
そして麻侖は腕まくりをして、珊瑚にすごんだ。
「ミケに聞いてた通り、威勢はいいね」
しかしそんな麻侖に臆することなく、珊瑚はニヤリと笑う。
「でも晴風機関長。お前にしか出来ないことがある、と言われてもそんな態度を取っていられるかな？」
「なんだってぃ……？」
珊瑚の一言に、麻侖は動きを止める。
「それに、困ってる人を見捨てるようなことをするのが、江戸っ子の心意気って奴なのかな？」
珊瑚は挑発するように、麻侖に言葉を投げかける。
「……面白ぇじゃねぇか」
麻侖は不敵に笑った。
「ちょっとマロン。本気なの？」
「あたぼうよ！」
洋美の言葉に、麻侖は右腕を曲げて、上腕に左手を添える。
「マロンにしか出来ない事ってのを、ちょっくら見に行ってくらぁ」
「マロン……心配だから、私も行くわ」
洋美も表情を変えて、拳を握りしめる。
「そうと決まれば、早速」
珊瑚は内心ほくそ笑むと、来た道を戻っていく。
麻侖と洋美は、小型エンジンを持って船から下りると、珊瑚の後についていった。
珊瑚の後についてきた麻侖と洋美は、埠頭に停泊していた明石へと乗り込んだ。
「相変わらず、大きい艦よね」
洋美は物珍しそうに、キョロキョロと周囲を見回す。
艦自体晴風と比べものにならないほど大きいこともあったが、それにも増して艦内は不気味なほど静まりかえっていた。
まるで何かとんでもないことが事が起こる、そんな予感を覚えずにはいられない。
「杉本艦長の後についてきちゃったけど、やっぱやめといた方がよかったんじゃ……」
洋美は麻侖に小声で話しかける。
「クロちゃんは心配性だなぁ。まぁ、このマロンに任せておきなってんでぃ！」
麻侖は胸をトンと叩いて答える。
「で、マロンにしか出来ないってことはなんでぃ？」
麻侖は珊瑚に話しかけた。
「もうちょっとで着くんだけど……おっ。来た来た」
珊瑚はそう言って、前方を見る。
前から横女の制服を着た女生徒が二人、珊瑚達の方に歩いてきた。
一人はおさげ。一人は眼鏡をかけている。
女生徒二人は珊瑚の前で立ち止まると、敬礼を行った。
「艦長、お帰りなさい！」
「柳原さんも黒木さんも、今日はお越し頂きありがとうございます！」
「うむ、ご苦労」
珊瑚も彼女たちに倣って敬礼を返す。
『…………』
その様子を、麻侖と洋美は呆然と眺めていたが、我に返るや慌てて敬礼を返した。
規律が緩い晴風では、まずお目にかかれない光景である。
もし同じようなことを浸透させようとしても、艦長が率先して反対するであろう。
（ああ、でも宗谷さんが艦長だったら……！）
洋美は心の中で、憧れの宗谷ましろが艦長として指揮を取っている姿をつい想像してしまう。
「それじゃあ、後は頼むよ」」
『はい！』
珊瑚の言葉に二人は返事をすると、敬礼をといた。
珊瑚と麻侖、洋美も敬礼をとく。
そして、眼鏡の少女が声をかけてきた。
「それじゃあ、艦長と柳原さんは、一緒に来てください。あ、その小型エンジンはこちらで預かりますね」
「お、おぅ」
麻侖は眼鏡の少女に小型エンジンを渡した。
「黒木さんは、こちらにお願いします」
「えっ！？」
おさげの少女の言葉に、洋美は戸惑いの声を上げた。
「なんでぃなんでぃ。クロちゃんは一緒じゃねえのかい？」
「うむ。彼女には別のお願いがあるからね」
麻侖の言葉に、珊瑚はコクンと頷く。
「ちっ。仕方ねぇなぁ。おぅ、クロちゃん。しっかり頼んだぜ」
「え、ええ……マロンも頑張ってね」
洋美は、麻侖に心配そうな眼差しを送る。
「任せろってんだい！」
麻侖は自信に満ちあふれた笑顔を浮かべた。
「それではこちらに」
洋美と別れた珊瑚と麻侖は、眼鏡の少女に案内されるまま、艦の奥へと進んでいく。
そして船室へと案内された。
そこは一角がカーテンに仕切られている以外は、特に何もない殺風景な部屋であった。
「なんでぃなんでぃ。こんな所で一体何をしようってんでぃ？」
「いやぁ、これから行う作業は、ちょっと危険を伴うからな。ここで着替えをしてもらう」
「はぁ？着替えだぁ？」
珊瑚の言葉に、麻侖は訝しげに声を上げる。
「すまないな。明石のルールなんだ。ここは従ってくれ」
珊瑚は頭を下げた。
「ちっ。わかったよ」
麻侖は渋々了承する。
規律に縛られる艦、明石。その息苦しさに、麻侖は早くも嫌気がさしていた。
「では、後ろから失礼しますね」
すると、眼鏡の少女が麻侖の後ろから突然手ぬぐいで目隠しをした。
「な、なんでぃなんでぃ一体！？」
「すまないな。これから着てもらう服も、ちょっとした機密事項なんだ。不愉快かもしれないが、少し我慢してくれ」
「ったく、ルールだの機密だの、堅苦しいってんでぃ！」
「本当にすまないな」
珊瑚の申し訳なさそうな言葉に、麻侖は少しだけ態度を軟化させる。
「わかったわかった。早く済ませてくれってんでぃ！」
「はーい」
眼鏡の少女は嬉しそうに返事をすると、麻侖の服を脱がせはじめる。
（明石の艦長はマロンに一体何をやらせようってんでぃ？）
麻侖は不安を覚えずにはいられなかった。
麻侖達が明石にやって来た頃より、時を遡ること少し前。
とある和菓子屋で、三人の少女が和菓子修行に勤しんでいた。
「甘納豆エクレア、いけると思ったんだけどなぁ」
横女の制服の上からイカのイラストが描かれた水色のエプロンを身につけた、杵崎あかねがため息をつく。
「あっちゃんは攻めすぎなんだってば」
横女の制服の上からエビのイラストが描かれたピンク色のエプロンを身につけた、杵崎ほまれがたしなめる。
「まぁまぁ。挑戦するのは悪いことじゃないから。わたしもこんなの作ってみたよー」
横女の制服の上からオレンジ色と蜜柑色が配色されたエプロンを身につけた、伊良子美甘が二人の前にお盆を出した。
『わぁ〜！』
それを見て、杵崎姉妹は声を上げる。
お盆の上に乗っていたのは、三人の顔をかたどった練り切りの細工菓子であった。
美甘が左髪につけた星のアクセサリー、ほまれが目の辺りの両髪につけている菱形の髪飾り、あかねが肩の辺りの髪につけている丸い髪留めも細やかに再現されている。
「凄いねミカンちゃん！」
「とってもかわい〜！」
二人の賞賛の言葉に、美甘は鼻を高くする。
「ふふーん。ちょっと頑張っちゃった」
「これは、わたしも負けてられないかな。次は甘納豆プリンにチャレンジ！」
「だから、あっちゃんは攻めすぎなんだって」
そんな他愛もない会話をしていると、一人の客が店に入ってきた。
『いらっしゃいませー』
三人は声をそろえて挨拶をする。
その客は、美甘達と同じ横女の制服を着ていた。
眼鏡をかけて、両髪をお下げにして、髪留め代わりのリボンを結んでいる。
「あなた達が晴風の給養員ね？ちょっといいかしら？」
少女は三人に声をかけた。
「えっと、どちら様でしょうか？」
美甘が首をかしげる。
「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね」
少女はそう言って、姿勢を正す。
「私は、間宮艦長の藤田優衣。貴女たちにお願いがあってきたの」
『えっ！？』
優衣の言葉に、三人は顔を見合わせる。
間宮と言えば、明石とともに晴風を何度も助けてくれた補給艦だ。
それに、三人に入学前からスカウトが来て、断ったこともある因縁のある艦でもある。
その艦長が直々に来たというのだから、穏やかではない。
「あの、お願いって？」
ほまれが身構えながら、恐る恐る尋ねる。
「単刀直入に言うわ。一緒に来てほしいの」
『えっ！？』
優衣の思いがけない言葉に、三人は驚きの声を上げる。
間宮艦長の言葉。それはスカウトに他ならない。
つまり、晴風から降りろと暗に言っているわけである。
「あの、お気持ちは嬉しいんですけど、わたし達の艦は晴風だから……」
あかねが、申し訳なさそうにその提案を断った。
「あっ、違う違う。間宮じゃなくて、明石に来てほしいの」
『へっ？』
優衣の言葉に、三人は間の抜けた声を上げる。
明石は優衣が艦長をしている艦ではない。
それなのに、何故ここで明石の名前が出てくるのか、まったくもって謎であった。
「あの、明石に行って、何をするんですか？」
美甘の言葉に、優衣は眼鏡を光らせる。
「実はね……あなた達にしか出来ない事があるの」
そしてもったいぶったように言う。
三人は身をかがめて、ヒソヒソ声で話した。
「ねぇ、どうする？」
「スカウトに来たって訳じゃなさそうだし……」
「ちょっとおもしろそうかも。行ってみようよ」
「そうだね」
「そうしよう」
「決まりだね」
三人は結論が出ると、立ち上がって姿勢を正す。
「わかりました。一緒に行きます」
「そう？よかった、それじゃあ、早速行きましょう」
美甘の言葉に、優衣はにこやかに微笑んだ。
そして時は進み、明石艦内。
着替え終わった麻侖は、目隠しをされたまま、どこかへと連れて行かれていた。
階段を降りては、上がり、また降りる。
珊瑚が麻侖の手を繋いで前を歩き、後ろから眼鏡の少女が麻侖の背中を軽く押すように支えるため、目隠し状態でも歩くには困らない。
「おぅおぅ。一体どこに連れていこうってんでぃ？」
「もうちょっとだよー」
「本当にごめんね柳原さん」
二人は、麻侖に申し訳なさそうに言葉をかける。
（一体何だってんでぃ……！）
麻侖の不信感はマックスに達していた。
ここまで焦らされているのである。
生半可な物では絶対に許さないと、麻侖は心の中で思った。
そして、自分の持てる力の全てを、これから与えられる「自分にしか出来ないこと」にぶつけると、心の中で誓った。
自分の艦は晴風であることを証明するために。
やがて階段を上がると、目の前が明るくなったような気がした。
「着いたよー」
珊瑚ののほほんとした声が聞こえる。
肌に当たる風が気持ちいい。
どうやら外に出たようである。
「目隠し、取りますね」
眼鏡の少女が声をかける。
「おうよ！早いとことっておくんな！」
珊瑚が手を離し、眼鏡の少女が麻侖の目隠しを外す。
「ったく、一体何だってんでぃ……！？」
目隠しを外された麻侖は大きくため息をつき、目を開く。
そして固まった。
ここはどうやら、明石の甲板のようである。
そして麻侖の目の前には、横女の制服を着た数多くの女生徒の姿があった。
皆、カメラやスマホを片手に、麻侖のことを見ている。
『キャ〜〜〜〜〜！！』
少女達は黄色い歓声を上げるや、麻侖に向かって一斉にフラッシュを焚く。
「な、なんでぃなんでぃ！？これは一体……！？」
麻侖は置かれた状況が飲み込めず、珊瑚を見る。
そして絶句した。
珊瑚は先程の制服にコートを着た姿ではなく、頭に大きなリボンを結んだ、かわいらしいピンク色のフリルドレス姿になっていた。
「杉本艦長、これはいってぇ……！？」
「もちろん、撮影会だけど？」
麻侖の言葉に、珊瑚は柔和な笑みを浮かべながら答える。
その姿はまるで、人形のようであった。
「撮影会だぁ！？」
「うむ。晴風機関長。お前の姿も、ほら」
「えっ！？」
珊瑚が合図をするや、大きな鏡が麻侖の前に運ばれる。
「ギャーーーーー！！」
そして顔を真っ赤にして、甲高い悲鳴を上げた。
鏡の向こうには、江戸っ子にはほど遠い、頭の左右にリボンを2つ結び、胸にリボンを付けた、自分の髪と同じ栗毛色のかわいらしいフリルドレスを着た自分の姿があった。
「な、なんでぃこれは！？」
「いやぁ、助かったよ。晴風で定期的に撮影会を開催してて、晴風機関長がモデルをやってるって噂を耳にした時は、これだって思ったんだけど。よく似合ってるよー」
「そ、そんなことしてねえやぃ！！」
珊瑚の言葉に、麻侖は力いっぱい否定しつつ、周りを見回す。
皆好奇の目で、麻侖達のことを見ている。
その中に洋美の姿もあった。
「プッ……マロン、とってもかわいいわよ」
洋美は目に涙を浮かべ、笑うのをこらえながら、スマホのシャッターを押す。
「ク、クロちゃん！撮るなぁ〜！」
麻侖は絶叫しながら、横を向く。
すると、今度は美甘、ほまれ、あかねと視線が合った。
「マロンちゃんかわいいー！」
「とっても似合ってるよー！」
「お人形さんみたい！」
美甘はカメラのシャッターを、ほまれ、あかねはスマホのシャッターをそれぞれ押す。
「や、やめろってんでぃ！見るな！撮るなぁ〜！！」
麻侖の絶叫が、横須賀の空に吸い込まれていった。