「まったく、徳川千の奴！一体何様のつもりじゃ！！」
　その日、真田幸村は、いつにもまして不機嫌な態度を見せていた。
「お、落ち着いてください幸村様。どうか気をお静めに……」
「又兵衛！お主、わらわにあの不埒者の無礼な態度を許せというのか！？」
　懸命になだめようとする後藤又兵衛を幸村は睨みつける。
　こうなっては又兵衛にも手のつけようがない。又兵衛はため息をつき、幸村がこのような態度をとっている原因となった、昨日の出来事を思い出していた。

　それは幸村が熱を出だして寝込んでいた夕方のこと。
　幸村を看病していた又兵衛がうとうとしていると、障子戸が開き二人の人物が入ってきた。
　一人は幸村達が住んでいる道場の責任者、柳生宗朗。そしてもう一人は空から降ってきた謎の女侍、柳生十兵衛である。
「やっほーベータさん。お見舞いに来たよー。ゆっきーの調子はどう？」
　十兵衛の明るい声に、すぐさま目を覚ました又兵衛は安堵のため息をついた。
「はい。おかげさまで、大分熱も下がりまして」
「そうなんだ？よかった。それじゃあ、お兄ちゃんが作ってきたご飯食べれば、明日には元気だね！」
「えっ？」
　又兵衛が宗朗を見ると、彼は土鍋と椀が乗った盆を持っていた。
「む、宗朗さん。それは？」
「いやぁ、幸村にはいつも世話になってるし。又兵衛さんも幸村の看病で忙しそうだったから。俺にも何かできないかなぁと思って」
　宗朗は照れくさそうに笑うと、お盆を床の上に置く。
「宗朗さん……ありがとうございます」
　又兵衛はにこりと微笑むと、幸村を見た。
「幸村様。宗朗さんが、夕食を作ってきてくれましたよ」
「見ればわかる……」
　幸村は、顔を赤くしながら、弱々しい声で答える。
「起きられますか？」
「うむ……」
　幸村は又兵衛に支えられながら、ゆっくりと起き上がる。
「幸村の口に合えばいいんだけど……」
　宗朗が土鍋の蓋を開けると、もわっと湯気が立ち上り、中から三つ葉を散りばめた卵粥が姿を現した。
「これを……宗朗がわらわのために……」
　幸村の顔が真っ赤になる。
「ゆっきー顔真っ赤だけど大丈夫？」
　そんな幸村を見て、十兵衛が心配そうに見つめる。
「だ、大丈夫じゃ！」
　幸村は慌ててプイっとそっぽを向いた。
「それじゃあ、たくさん召し上がれ」
　宗朗は卵粥を椀に盛って、幸村に手渡そうとする。
　しかし幸村はそれを受け取らず、恥ずかしそうに宗朗をチラ見すると、消え入りそうな声で呟いた。
「食べさせて……」
「えっ？」
「だ、だから、わらわに食べさせてたもれと言ったのじゃ！」
　幸村は、今度ははっきりと、しかしながら恥ずかしそうに言った。
「ええっ！？」
　今度は宗朗が大きな声を上げた。
「な、何をそんなに驚いておる？わらわは病人じゃ。病人はいたわるものじゃ」
　幸村は当然と言わんばかりに言う。
「で、でも……」
「そうですよ宗朗さん。幸村様のおっしゃるとおりです」
　又兵衛が幸村の援護射撃をする。
「わ、わかったよ……」
　宗朗は渋々了承すると、椀を持って、卵粥を乗せた匙を幸村に近づけた。
「ほ、ほら幸村、口を開けて。あーん」
「あ、あーん……」
　幸村は目を閉じる。
　そして、匙が幸村の口に入ろうとした瞬間――
　思いがけない方向から伸びてきた口が、幸村の卵粥を強奪した。
「えっ！？」
「なっ……！！」
　宗朗と幸村は絶句する。
　それは徳川家の姫君、徳川千であった。
　千は口をもごもごさせると、表情を歪めると、ぺっぺと卵粥を吐き出す。
「ちょっと！このお米どこ産！？こんなまずいお米、初めて！それに、卵も一体どこの卵使ってるのよ！？こんな毒みたいなもの、よく千の前に出せたわね！」
　千は宗朗を怒鳴りつける。
「コラー！！徳川千！お主何をやっているかー！！」
　自分の食料を強奪された幸村は、たまらず声を上げた。
「フン。決まってるじゃない。ちょっと毒見してあげたのよ」
　千は悪びれた様子もなく、高飛車な態度で答える。
「毒見じゃと！？宗朗がわらわのために作ってくれた料理に、毒なんか入っているわけなかろうが！」
「うるさいうるさい！宗朗にそんな料理作ってもらうなんて、生意気なのよ！！半蔵！！」
「はっ！！」
　千の言葉に、隣に控えていた服部半蔵が、持っていた麻袋の口を広げる。
「こんなもん、こうしてあげる！！」
　すると、千は土鍋を強奪するや、土鍋をひっくり返して中身を全部麻袋の中に入れてしまった。
「な、何をするんじゃ！！」
「貸しなさい！！」
　非難の声を上げる幸村などお構い無しに、今度は宗朗から椀を取り上げると、中身を全部口の中へとかき込む。
　そして、空っぽになった土鍋と椀が残された。
「わ、わらわの食事が……」
　幸村は涙目になりながら、その空っぽの土鍋と椀を見つめる。
　そして怒りの炎が燃え上がるのに、そう時間はかからなかった。
「おのれ徳川千！！よくも！よくも！！」
「はっ！おこちゃまが宗朗に料理を作ってもらうなんて、百年早いのよ！！」
　千は勝ち誇りながら、道場を出て行く。
「千姫さん、よっぽどお腹空いてたのかな？」
　状況をいまいち飲み込めない十兵衛が、ポカンとしながら呟いた。

「徳川千の奴め！よくも、よくも、宗朗がわらわのために作ってくれた料理を……！」
　幸村は怒りが収まらない様子で、拳をグッと握り締める。
「困りましたね……おや？」
　ふと又兵衛は、先方から慌しい様子でやってくる半蔵の姿を見つけた。
「半蔵さん？どうかしたんですか？」
　又兵衛が声をかけると、半蔵は顔面蒼白の状態で、言葉早に告げる。
「た、大変です！おひい様が風邪で倒れたんです！！」
「風邪じゃと？」
「だから、あれほど病人には近づくなと申し上げたのに！……って、こんなことしてる場合じゃありませんでした！」
　半蔵は幸村にまだ何か言いたそうであったが、慌しくその場を去っていく。
「……又兵衛」
「……はい、幸村様」
　幸村と又兵衛は、互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

　そして――幸村が千にされたことを、そのままそっくりお返ししたのは、言うまでもない。