功司の目の前には、少量のご飯と山盛りのカレールーがかけられたカレーライスが置かれていた。
　横には酷く心配そうな表情を浮かべたかりんと、その様子を見守るユメとエリスの姿があった。
　功司はというと、スプーンを手に握り締めたまま２分近く動かないでいる。
　この行為自体既にかりんに対して失礼極まりないものであるのだが、今の功司にそんなことを考えられるほど心に余裕がなかった。
　功司は横目でチラッとかりんをみた。
　かりんは申し訳なさそうに視線を伏せている。
「……それじゃあ……いただきます」
　覚悟を決めた功司はゴクっと唾を飲み込むと、スプーンをカレーの中へと入れた。
「…………！」
　かりんははっと顔を上げ、功司を凝視する。
　そして功司が震える手でカレーをすくい、口の中に運び込もうとした瞬間――
「ダメェ！！」
　目にもとまらぬ速さで功司を突き飛ばし、スプーンを奪い取った。
「うおぅ！？」
　床に尻餅をつき、呆気にとられる功司を尻目に、かりんはぎゅっと目を瞑りながら自分の作ったカレーをパクっと食べる。
「！！」
　次の瞬間、まるでスローモーション映像のようにスプーンがかりんの手から離れて床に落ちた。そしてかりんもそのまま床に崩れ落ちる。
「か、かりん！？」
　功司は慌てて起きあがり、かりんのそばに駆け寄る。
「うっ……あっ……」
　かりんは何か言葉を発しようとしたが、口がうまく動かない。いや口だけではない。体全体が麻痺したかのように自分の思う通りに動かせなかった。
「かりん！！しっかりするんだ！！」
「あっ……ううっ……」
　かりんは再び言葉を発することを試みたが、やはり言葉にならない。
「フッフッフッフッフッ……」
　突然、緊迫した状況とは場違いの低い笑い声が飛び込んできた。
　功司がハッと顔を上げると、エリスが腕組みをしながら偉そうな態度をとっている。
　またこいつか――！
　功司は瞬間的に状況を把握した。
「エリス！お前、かりんのカレーに何をいれた！？」
「ちょっとクスリをな」
「クスリだぁ！？」
「アア。男が飲むと何ともナイが、女が飲むと覚めることのナイ深い眠りに落ちてしまう、新薬をな」
「な、なんでそんなものを！！」
「決まってるダロ？オマエで人体実験したかったんだ。飲んでもちゃんと無事だってコトを」
「お、お前なー！！」
「アタシだって想定外だったゾ。マサカかりんが自分で食べるなんて」
　エリスは思いがけない事故だったと言わんばかりに、大きくため息をつく。
「ま、人間諦めも肝心だゾ」
「肝心じゃねーよ！！おいエリス、一体どうすればかりんは目を覚ますんだ！？」
「知りたいか？」
「当たり前だ！！」
　功司の言葉にエリスはニヤリと笑うと、一冊の本を亜空間から取り出し、功司に手渡した。
　その本は功司の手に渡った瞬間、ミニミニサイズからＡ４サイズの大きさへと変貌を遂げる。
　それはエリスが読んでいた『姫騎士様と魔法使い』であった。
「これは……？」
「ソノ伝記書にヨると、姫騎士の凍りついた心を溶かすのは、王子様のアツーいクチヅケだソウダ」
「はぁ！？」
「ツマリ、オマエがかりんにキスをすれば、かりんが目を覚ますと」
「キ、キス！？」
「ちなみに、ソノ対処法が有効なのは薬を口にしてから５分以内だゾ。それを過ぎると、かりんはズーット眠ったマンマだ。もう３分くらい経ったから、タイムリミットは残り２分くらいか？」
「な、なんだよそれ！！」
「ツマリ、オマエに選択の余地は残されてないということだ。かりんを生かすも眠らせるも、オマエ次第なんだゾ」
「うっ……」
「かりんも今はマダ目を開けているが、後２分でソノ目蓋も閉じられる。目を閉じたら手遅れの状態なんだゾ。まぁ、トロンとした目つきのかりんの表情を眺めていたいというのであれば、そのままそうしていてもイイかもシレンガ」
「…………」
「牧村さん！！かりんちゃんを救えるのは、あなたしかいないんですよ！？」
　ユメの言葉に、功司は本を調理台の上に置くと、かりんを見た。
「うっ……あっ……あああっ……」
（騙されないでください牧村さん！！わたしの心は凍り付いてなんかいませんし、眠くなんかもありませんっ！！）
　かりんは必死で叫んでみるものの、それは心の中だけで、口から出てくるのはうめき声だけで、それが返って功司に決断を促す。
「かりん……」
　功司はそっとかりんを抱き起こした。
「う、ううっ……」
（えっ！？ちょ、ちょっと……）
　かりんの瞳に、だんだんと近づいてくる功司の顔がはっきりと映し出される。
　その様子をエリスがわくわくしながら、ユメが頬を赤らめて手を口元に当てながら、固唾を飲んで見守っていた。
「あっうっ……」
（だ、ダメです牧村さん！！やめてください！！わたしは大丈夫ですから、エリスの口車なんかに乗らないで！！）
　かりんの願いもむなしく、功司の顔は近づいてくる。
　そして唇が触れようとしたまさにその瞬間――
「いやああああああああああああああああ！！」
　まるで呪縛がとけたかのごとく、かりんはものすごい力で功司を突き飛ばしていた。
「うげええええええええ！？」
　功司は背中を調理台にたたきつけられ、そのまま意識を失った。