祐巳の普通のような普通じゃない一日

　それは、いつもと変わらないある秋の晴れた日の午後のこと。
　祐巳は親から留守番を仰せつかり、１人部屋で本を読んでいた。
　今頃、本当なら大好きなお姉さまと一緒にプールに行ったり、ショッピングしたり、映画を鑑賞したり……ううん、それがダメならせめて散策だけでもいい。
　とにかく、本当ならお姉さまと一緒に楽しい休日を過ごすはずだったのに。
　それが、何が悲しくて一人で留守番なんかしてなくちゃいけないのか。
　いくらお父さん宛の大切な荷物が今日の午後届くことになっていたからって……
　祐巳の父も母も、急用ができたとかで出かけてしまった。
　もう一人の留守番候補、祐麒も大事な約束があるとかで朝早くに飛び出していったきりだ。
　肝心な時に、なんて使えない弟なのだろう。
　そりゃ祐巳は、お姉さまと約束なんかしてなかったから、暇を持て余してるってことで白羽の矢が立ったわけだけど。
「あーあ……お姉さまと一緒にいたかったなぁ……」
　祐巳は深く溜息をついた。

　ピンポーン

　とその時、玄関のチャイムが祐巳の耳に飛び込んできた。
「あ、はーい」
　やっと来たかなと思いながら、祐巳は椅子から立ち上がり、部屋を出て玄関に向かった。
　そして玄関に着くと、ドアのロックを外し、ドアを開ける。
　そこには大きなトランクを抱えた若い男の人が立っていた。
「福沢さん、お届け物です」
「はい、ご苦労様です」
　祐巳はトランクを受け取り、床の上に置く。
「ここに、印鑑お願いします」
「はい」
　そして祐巳は宅配業者の人から差し出された紙に印鑑を押そうとした。
　ふと、受取人の名前を見て、手が止まる。
　そこには父の名前ではなく、「福沢祐巳」と、自分の名前が記されていたのだ。
「えっ！？こ、これ……わたし宛の荷物、ですか？」
「えっ？ええ……そうみたいですね」
　宅配の人は、曖昧に頷く。
　なんだろうこれ？
　祐巳は不思議に思いながら、トランクに目を落とした。
　こんな荷物を送ってくる人、祐巳にはまったく心当たりがない。
　そこで伝票に記されている差出人の名前を見ると、やっぱり知らない名前が。
　一体どういうことだろう？
「あ、あの……これ、間違って送ってきたとか、代金引換とかじゃないですよね？」
「えっ？ええ……代金引換じゃありませんね」
　宅配の人は、やっぱり曖昧に頷く。
　最近この手の悪徳商法が流行ってるって聞いたけど、どうやらその線は薄そうだ。
　とりあえず、祐巳は伝票に受け取り印を押すことにした。
「ありがとうございます」
「ご苦労様です」
　宅配の人が出て行くと、祐巳は玄関のドアに鍵をかけ、トランクを持って自分の部屋へと持っていった。
　そして床の上にトランクを置き、その前にちょこんと腰掛ける。
　一体このトランクの中には何が入っているのだろう？
　いくら考えても、祐巳には皆目見当もつかなかった。
　あれこれ考えても仕方がない。とりあえず開けてみよう。
　祐巳はそう決心すると、胸を躍らせながら、緊張した面持ちでゆっくりとトランクを開けた。
「あっ……」
　そして小さく声を上げる。
　トランクの中には、とてもかわいらしい、西洋人形が一体、まるで眠るように入っていた。
　その金色の髪にワインレッド色のフードとドレスを身に纏ったアンティークドールは、今にも動き出しそうなくらいとても精巧に出来ていて、祐巳は思わず目を見張った。
「よくできてる……すっごく高そう……」
　祐巳はその人形を持ち上げると、しげしげと眺めた。
　ちっちゃなころお母さんによく人形を買ってもらったりしたけど、こんなに精巧に出来た人形なんて、今まで見たこともなかった。
　それだけこの人形は、祐巳の興味を引くに十分な魅力を兼ね備えていた。
「あれ……？」
　ふと、トランクの中にゼンマイが入っていることに、祐巳は気がついた。
「これ巻くと、やっぱ動いたりするのかな？」
　祐巳はゼンマイを手にとり、人形のゼンマイ穴に差し込んで何回も何回も回した。
　すると突然、その人形は目を見開くや、動き出した。
「ひゃ！？」
　祐巳は小さな悲鳴を上げ、人形を離して立ち上がった。
　尻餅をつく格好で床に落下した人形は、ゆっくりと起き上がるとお尻をパンパンと払い、祐巳をマジマジと見つめ、ビシッと指差した。
「私の名は真紅。おまえはこれより真紅の下僕となる」
「…………………………えええ〜〜っ！！？」
　少し間を置いて、祐巳は素っ頓狂な声を上げた。
　だって人形が目を開けて、尻払いをしたり、ましてや祐巳に向かって指差して、命令口調でしゃべったりするなんて思っても見なかったから。
「ににに、人形がしゃべってる！！」
　祐巳はガクガクと震えながら、信じられないといった表情で人形を指差す。
　自分は夢でも見ているんじゃないだろうか。
　いやきっとそうに違いない。人形がしゃべるなんて、絶対あるはずないんだから。
「あなた、名前は？」
　しかしそんなパニック状態の祐巳とは正反対に、真紅と名乗った人形は落ち着き払った態度で祐巳に質問した。
「ゆ、祐巳……福沢祐巳、だけど……」
　祐巳も条件反射的に答えてしまう。
　質問されたら素直に答える。
　こんなところがお嬢様学校のリリアンの生徒たる、祐巳の礼儀正しいところなんだけど。
「祐巳、落ち着きなさい。仮にもあなたは真紅の家来なんだから」
　人形はすました表情で、とんでもないことをさらりと口にする。
「本当に……本当に、人形がしゃべってるの？」
　祐巳は恐る恐る人形に顔を近づけた。

　ビシッ！！

　突然、真紅は顔を横に背けると、長い髪がまるでムチのように、祐巳の頬を叩いた。
「痛ぁっ！！」
　祐巳は涙目になりながら、真紅を睨む。
「何するのっ！？」
「どう？これでもまだ現実を受け入れないつもり？」
「うっ……」
　祐巳は絶句しながら、頬に手を当てる。
　確かにこんな痛み、夢でもなければ幻でもない。
　紛れもなく現実だ。
　だからって、こんなことしなくったっていいのに。
　でも、これが現実だっていうことは……
　現実逃避モードから現実直視モードへと切り替えられた祐巳の頭に、様々な疑問が泉の噴水の如く一気に湧き出てくる。
「あ、あの……」
「祐巳。わたし喉が渇いたから、紅茶持ってきてくれない？」
　その疑問を口にする前に、真紅が口を開く。
「は、はい！！」
　祐巳は言われるまま、部屋を飛び出しキッチンへと向かった。
　何が悲しくて人形に命令されるまま紅茶をいれなければないけないのだろう。
　しかし、祐巳には何故か、それに逆らうことが出来なかった。いや、逆らう気力さえ起こらなかったといった方が正しいだろう。
　祐巳はお盆に紅茶の入ったティーカップ２つをのせると、自分の部屋へと戻っていった。
「どうぞ」
　少しおどおどとした態度になりながら、祐巳はティーカップを真紅に渡す。
「まったく……これくらいで驚いてるようじゃ、まだまだね」
　真紅はフゥッと溜息をつくとティーカップに口をつけた。
「あら？なかなかおいしいじゃない。やるわね、祐巳」
　そして真紅は祐巳を見て、ニコッと笑った。
「え、ええ……どういたしまして……」
　祐巳はそんな真紅を見ながら、ある人物の顔を思い浮かべていた。
　この常に威厳を振りまいているような高貴な態度。
　この冷静かつ的確で他人を寄せ付けないような高圧的な言葉遣い。
　それは紛れもなく、祐巳の大好きな祥子お姉さまに寸分たがわぬ物であった。
（ああ、マリア様……確かに私は今日一日お姉さまとずっと一緒にいれたらってわがままを言いました。でもだからって、祥子お姉さまにそっくりなアンティーク人形を贈ってくるなんて、あんまりです！）
　いくら雰囲気が同じだからといって、お姉さまと人形はまったくの別物。それに比べるにしても、お姉さまに対して物凄く失礼だ。
　祐巳は心の中で懺悔をするが、今更悔いたところで現実は変えられない。
「……で、祐巳。わたしに質問があるんでしょ？」
　真紅の言葉に、祐巳ははっと我に返った。
「そ、そうだった！！え、えっとね……」
　祐巳は思い浮かんできた疑問を、次から次へと真紅にぶつけた。

　祐巳の質問が一通り終わるころには、辺りはすっかり夕暮れに包まれていた。
　本当はまだまだ一杯疑問があるけど。
　でも重要な、絶対にきかなくちゃっていうことは全て聞いたので、一応祐巳は納得した。
　真紅のようなローゼンメイデンシリーズの人形が他にもいること。
　ローゼンメイデン同士、『アリスゲーム』というもので勝負して、勝ち続けなければならないこと。
　そのゲームに負けたローゼンメイデンは、自らが所持しているローザミスティカを奪われ、人形となってしまうこと。
　そのパートナーに、どうして祐巳が選ばれたのかわからないけれど。
　でも祐巳は、なんとなくその理由がわかっていた。
（私がわがまま言ったからって、こんな仕打ちをなさらなくてもいいのに……マリア様の意地悪……）
　そんな祐巳の心を知ってか知らずしてか、真紅は欠伸をすると眠たそうに目を擦った。
「祐巳、私はもう眠くなってきたから、そろそろ休むことにするわ」
「えっ！？あ、あの、ちょっと……」
　祐巳の言葉が終わらないうちに、真紅はトランクに入ると蓋を閉めてしまった。
「……………………」
　祐巳は呆然としながら、蓋の閉じられたトランクを眺める。
（マリア様……私はこれから一体、どうなってしまうのでしょうか……）
　祐巳は、なんだか目の前が真っ暗になっていくような気がして、頭を抱えずにはいられなかった。