家に帰ると既に食卓には数々の料理が並んでいました。
「お帰り、蜜柑。今日は遅かったのね」
　エプロン姿のお母さんがお茶を入れながらにこやかに話しかけてきます。
「はい、ちょっと……」
　私は少し重く沈んだ気分になりながらそう答えました。
　目の前に並んでいるお母さんの手料理はどれもおいしそうなのですが、穂麦さんのことを思うととても食べる気にはなれません。
「どうしたの？蜜柑。あんまり元気がないようだけど。ひょっとして雷斗ちゃんのことを考えているのかしら？」
「えっ！？ど、どうしてわかったんですか！？」
　お母さんの確信をつく言葉に、私は驚いて言葉を失ってしまいました。
　お母さんはふふふっと、笑っています。
「だって蜜柑は私の子供だもの。考えてることくらいわかるわよ。ね？お父さん」
「ああ。本当、蜜柑は素直な子供だからな」
　椅子に腰掛けながら夕刊を読んでいたお父さんもはははっと笑っています。
「そ、それじゃあ……」
「まぁとりあえず、そこに座りなさい」
「は、はい……」
　私はお父さんに促されるまま椅子に座りました。
「蜜柑、お前の気持ちもわかるが、ちゃんと夕ご飯は食べなくちゃ駄目だぞ？せっかくお母さんが丹精込めて作ってくれたんだから」
「そうよ。蜜柑が体を壊したら穂麦さんの奥さんだって申しわけないと思うわよ？」
「で、でも……」
「それに、雷斗君のことなら大丈夫。心配しなくっても明日になると見つかるさ」
「そ、そうなんですか？お父さんがそういうのなら……」
　お父さんのいつもの言葉に、私は安心感を覚えました。いつものことなのですが、お父さんの言葉には妙に説得力があります。
「でも、なんで弘佐さんのお宅であのような置手紙が見つかったのでしょう？」
　私はふと思い浮かんだ、素朴な疑問を口にしました。
「それはね、弘佐さんのそのプレハブ小屋を秘密基地に使っていたからよ」
「ひ、秘密基地、ですか？」
「そうよ」
　お母さんのあまりにも突拍子のない言葉に私は言葉を失ってしまいます。でもお母さんは笑いながらエプロンを外すと椅子に腰掛けました。
「秘密基地か。懐かしいなぁ。昔はよく作ったっけ」
「そうよね。ご近所の廃屋や洞穴、入り組んだ路地の間とか、子供達の遊び場だったものね」
　お父さんもお母さんも懐かしそうに過去を振り返っています。
「実はな蜜柑、お父さん達も雷斗君と同じような騒動を起こしたことがあるんだ」
「えっ！？ほ、本当ですか！？」
　思いがけないお父さんの言葉に私は思わず身を乗り出してしまいました。
「ウソじゃないわよ蜜柑。そう、あれはお父さんがご両親の都合でこの街から引っ越す前日のことだったわ。お父さんったら急にお母さんを呼び出して何を言い出すかと思ったら『俺と駆け落ちしてくれ』ですって」
「お、お父さんがそんなこと言ったんですか！？」
「いやぁ、あの時はつい夢中だったんだよ」
　お父さんは恥ずかしそうに頭をポリポリかきます。
「それでお母さんも『うん』って返事しちゃって、当時使ってた秘密基地に書置きを残して二人で家出しちゃったの」
「ふええ……」
「いやぁ、あの時は本当、大騒ぎになったよな。『子供が蒸発したっ！』って」
「でも、あなた、翌日に発見されて警察の人やご両親から凄く怒られたじゃない」
　お母さんはそう言うと、またクスクス笑い出してしまいました。
「お母さん？」
「ごめんなさいね。お父さんのとった行動を思い出しちゃって」
「お父さんの行動？」
「おいおい、勘弁してくれよ。それは話さなくってもいいだろ？」
「別にいいじゃないの。減るもんでもないし」
　お父さんは少し気まずそうにしながら苦笑いを浮かべています。
「お父さん、お母さんが怒られそうになったときなんて言ったと思う？お父さんったら『悪いのは俺だから沙夜のことは怒らないでくれ！』ですって」
「お、お父さんかっこいいです！」
「それでお母さんの変わりにお父さんが怒られて、街を去っていったの。でも高校に入学した時に再会して、今があるのよ」
「お父さんとお母さんにそんなことがあったんなんて、知りませんでした」
　私はその話を聞いて感動を覚えてしまいました。今まで知らなかったお父さんとお母さんの一面を見ることができ、ますます尊敬の念を抱かずにはいられません。
　やっぱりお父さんとお母さんは凄いです。私にとっては世界一のお父さんとお母さんです。
「それじゃあ、雷斗ちゃんは……」
「確か、穂麦さんのお宅のご主人って転勤になって単身赴任中よね？」
「ああ。だから何か騒動を起せばお父さんが戻ってきてくれると思ったんじゃないかな？」
　お父さんもお母さんも『心配するな』といった表情を浮かべています。やっぱり経験と言うものは大切なことなんですね。
「だから蜜柑は、捜索は警察の人やご近所の人達に任せて、穂麦さんのお宅に行きなさい」
「そうね。今穂麦さんの奥さん、とっても心細い心境にあると思うから。蜜柑がついていてあげれば少しは心強いでしょうから」
「わ、わかりました！」
　お父さんとお母さんに大役を仰せつけられて、私は背筋をピンと伸ばしました。
　私如きで勤まるかわかりませんが、お父さんとお母さんの期待を裏切らないためにも、そして穂麦さんをこれ以上悲しませないためにも精一杯努力したいと思っています。