葵達はリビングへとあがった。
　暖房がきいてるため、部屋の中はとても温かい。
「で、一体何やるんだ？」
「ふふーん……これよ！！」
　姫子は後ろに隠し持っていた箱を、みんなの前に出した。
　それは百人一首であった。
「どう？お正月らしいでしょ？」
「おお。姫子にしては、なかなかいい発想じゃないか」
「ちょっと？それどういう意味よ？」
　姫子は葵をキッと睨むがすぐに咳払いをひとつした。
「コホン……それじゃあ、適当に座って」
　姫子の言葉に、葵達は暖かいホットカーペットの上に円を描くように座った。
　葵の隣にはそれぞれ奈緒と楓が、そして奈緒の隣に姫子、萌、鈴歌が座る。
　葵の隣に座ることが出来なかった萌が、残念そうな表情を作りながら葵のことを見ている。
「先輩の隣に座れなかったのが、そんなに残念？」
　隣の鈴歌が、そっと萌に耳打ちする。
「ち、違うよぉ！！」
　萌は慌ててそれを否定した。
「ホントかしら？」
　姫子が悪戯っぽく笑いながら、箱を中央に置く。
「百人一首かぁ……懐かしいなぁ……」
　楓が感慨深げに言った。
「楓、お前百人一首知ってるのか？」
　葵は大げさに驚きながら楓を見る。
「やっだなー。アオちゃん。あたしだってそれくらい知ってるよ」
　楓は笑いながら、箱の中から絵札を取り出す。
「これを伏せて、順番にめくってって、お坊さんが出た人が負けでしょ？」
「それは坊主めくりであって、百人一首とは違うぞ……」
　葵は楓の大真面目な言葉に苦笑した。
「えっ！？違うの？」
　楓は目を丸くする。
「綾杉先輩、百人一首は、和歌が書かれている絵札を読んで、下の句が書かれている字札をとるんですよ」
　鈴歌が丁寧に説明した。
「へー……そうなんだ？わかったよ」
　楓はわかったようなわからないような曖昧な返事を返し、うんうん頷く。
「それじゃあ、並べましょ」
　姫子は箱から字札を出すと、適当な枚数ずつに６分割して、それぞれ他者の前に置いた。そして箱をどかす。
　葵達は手元に置かれた字札の山を持つと、自分の前に並べ始めた。
「ちょっと、葵！！自分だけがとりやすいように並べないでよね！！」
「な、なんだよ！！そーゆーお前こそ、自分のところばっかに集中させてるじゃねーか！！」
「ふ、二人とも、喧嘩はよくないよぉ！」
「うーん……並べるのなんて適当でいいかな？」
「あっ、萌。その札とこの札、交換しない？あたしその札の和歌好きだから」
「うーん……その札じゃなくって、鈴歌ちゃんのそっちの札だったら交換してもいいよ」
　和気藹々とした雰囲気を作りながらも、並べるところから既に戦いが始まっていた。
「ところで、読み手はどうするんだ？ジャンケンで決めるのか？」
　葵が並べながらそれとなく尋ねる。
「あ、ボクが詠むよ！」
　葵よりも先に並べ終わった奈緒が詠み手に立候補した。
「そっか。それじゃあ奈緒、頼むぞ」
「うん。綾杉さん、さっきの絵札かして」
「はい、奈緒ちゃん」
　奈緒は楓から絵札を受け取る。
「並べ終わったわね。それじゃあ、始めましょっか」
　字札を並べ終えたのを見計らって、姫子が皆の顔を見回した。
「萌、頑張ろうね！」
「うん！」
　萌と鈴歌は互いに顔を見合わせ頷きあう。
「それじゃあ、読むね」
　絵札のシャッフルを終えた奈緒が、山から一番上の札をめくり上げて、小さく深呼吸をした。
　一瞬、沈黙が流れる。
「わが袖は、潮干に見えぬ、沖の石の……」
　奈緒が流暢な声で和歌を詠み始める。
「人こそ知らね、かわく間もなし」
「はい！！」
　奈緒が詠み終わると同時に、鈴歌が奈緒の前にある札を取った。
「まずは一枚ゲット」
　そして、得意げに取った札をひらひらさせる。
「な、なかなかやるわね、鈴歌……」
　すぐ近くにあった札を自分よりも遠くの位置にいた相手に札を取られたことに、姫子は少しだけ悔しそうな素振りを見せる。
　しかし、出来るだけ配置を覚えようと、すぐさま字札に目を移した。
　奈緒は次の札をめくり、和歌を詠み始める。
「君がため、春の野に出でて、若菜つむ……」
「はい！！」
　葵は奈緒が和歌を読み終える前に、楓の前にある札を取った。
「あっ！！」
　一足遅く札を発見した鈴歌が悔しそうに声を上げる。
「鈴歌ちゃん、残念だったね」
　葵は笑いながら取った札を自分の横に置いた。
「アオちゃんアオちゃん」
　楓がツンツンと葵をつつく。
「どうしたんだ？」
「今の札、どうしてわかったの？」
「へっ？」
　葵は楓の大真面目な質問に、一瞬呆けた表情を作った。
「ねぇ、どうして？」
「そ、そりゃこの和歌は暗記してたから……」
　慌てて平静を装い、楓の質問に答える。
「ふーん……そうなんだ。それで、歌の意味は？」
「意味か？きょうは七草、あなたの為に若菜を摘みに来ました。早春の野雪が私の袖の上で楽しそうに遊んでいます。今年もお健やかでありますように……だったかな？まぁ、春の歌だ」
「えっ？冬の歌じゃないの？」
「あのなぁ……昔は、１月、２月、３月が春だったの」
　葵は楓の言葉に苦笑した。
「だから今でも、年賀状書くとき『新春』って言葉が使われるだろ？」
「うん……アオちゃんって、物知りなんだねぇ」
　楓が感心したように葵を見ると、思い出したように手をポンと叩いた。
「あっ、そうだ。アオちゃん、初夢ってどんなの見た？」
「初夢？」
「うん。あたしはお菓子の家を食べる夢だったよ！」
　楓は夢のことを思いだし、表情をほころばせる。
「初夢ねぇ……」
　葵は少し考え込む仕草を見せ、楓を見た。
「俺の初夢は……」
「わーわーわーっ！！」
　すぐさま姫子が葵の言葉を遮る。
「姫子ちゃん、どうしたの？」
　萌が不思議そうな表情を作りながら姫子を見た。
「俺も不思議なんだ。初夢の話をすると、何故か姫子が怒るんだ」
　葵は首を傾げた。
「きっとアオくんが変な夢を見たせいだよ」
「でも、ちょっと興味あるかも。神津先輩、一体どんな夢見たんですか？」
　奈緒はいつものことだとあまり気に留めないが、鈴歌は興味津々といった様子で葵に尋ねる。
「うーん……なんだか生温かかったような……とっても気持ちよかったような……」
「わーわーわーっ！！」
　姫子がさらに高い声を上げて葵の言葉を遮ると、鈴歌をキッと睨んだ。
「ちょっと鈴歌！！余計なこと言わないの！！」
「虹沢さんが、何でそんなに怒るんですか？」
「そうだぞ。鈴歌ちゃんにあたるんじゃない」
　葵も鈴歌を擁護する。
　すると顔を真っ赤にした姫子は、まるで蛙を睨みつける蛇のような殺気を漂わせた視線で、葵を睨みつけた。
「それ以上言ったら……わかってるでしょうね？」
「わ、わかったよ……」
　身の危険を感じ、葵は渋々これ以上思い出そうとするのをやめる。
「まったく……葵がいけないんじゃない……舌遣いがどうとか言うから……」
　姫子は恥ずかしそうに呟いた。
「えっ？」
「な、なんでもないわよっ！！」
　姫子はそっぽを向き、決して葵を見ようとはしない。
「？」
　姫子の呟きが聞こえなかった葵は心に疑問を浮かべる。
　しかし、姫子の呟きが運悪く耳に入ってしまった鈴歌と奈緒は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「どうしたの？鈴歌ちゃんも紅林先輩も、顔が真っ赤だよ？」
　萌は不思議そうに二人を見る。
「…………」
「そ、そうだ、続きやろうよ」
　無言の鈴歌に助け舟を出すように、奈緒が山から札を一枚めくった。
「そ、それじゃあ、読むよ」
「おう！」
　葵は字札に視線を集中させる。
　姫子も鈴歌も字札と向き合う。
　奈緒は一度深呼吸をして、和歌を詠み始めた。
「夕されば、門田の稲葉、おとづれて……」
　皆はキョロキョロと下の句が書かれた句を探す。
「芦のまろやに　秋風ぞ吹く」
　奈緒は和歌を詠み終えると、視線を競技者達に移した。
　皆目的の字札を見つけられずに、あちらこちらを探し回っている。
　束の間の静寂が訪れる。
　と、葵は中央に下の句が書かれた字札を発見した。
「はい！」
「はい！！」
　しかし、葵が伸ばした手の下に、別の手が侵入してきてわずかの差で札を取られる。
　それは萌の手で、葵はその手の甲に掌を乗せる形になった。
「あっ……」
　掌を乗せられた格好になった萌は、驚いて顔を上げると、葵を見る。
「あっ……すまん萌。痛くなかったか？」
　葵は慌てて手をどかす。
「う、うん……」
　萌はほんのり頬を紅色に染めると、字札を持った手の甲を優しく撫でた。
「…………」
　その様子を、姫子が面白くなさそうに眺める。
「じゃあ次行くね。山川に、風のかけたる、しがらみは……流れもあへぬ、もみぢなりけり」
「…………」
　皆字札に視線を集中させ、下の句を探す。
　やや間を置いて、葵は奈緒の目の前に置かれている目的の字札を発見した。
「はい！！」
　素早く手を伸ばし、それを確保する。
「チェェェストォォォォォォォッ！！」
　すると、まるでそれを待ち構えていたかのように、姫子の手が飛んできた。
　バチーンと、とても痛そうな音を立てて、姫子の掌は、葵の手の甲を捕らえる。
「いてーっ！！」
　たまらず声を上げた葵は、姫子を睨みつけた。
「おい姫子！！お前なんてことするんだ！！」
「あーらゴメンなさい。葵に一瞬の差で取られるとは思わなかったから」
　しかし姫子は涼しい顔で、葵の言葉を軽く受け流す。葵は憤慨した。
「そんなわけねーだろ！！大体、『チェスト』なんて叫んでる時点で明らかに俺を狙ってるだろーが！！」
「あら？いつから『チェスト』って叫んじゃいけない法律が出来たのかしら？」
「ぐっ……」
　葵は姫子にさらに文句を言おうとしたが、グッと我慢をして取った字札を手札に加えると、視線を散りばめられた字札へと戻す。
「それじゃあ、次行くね。 春すぎて、夏来にけらし、白妙の……」
「はい！！」
　葵は奈緒が和歌を読み終える前に、中央に置かれた字札に手を伸ばした。
　そして素早くそれを確保する。
「はーい！！」
　すると今度は真横から元気な声が聞こえてきたかと思うと、姫子より数倍早いスピードの手が、葵の手の甲に襲い掛かった。
　的確に葵の手の甲を捕らえ、バチィィィンと、先程よりも痛々しい音を立てる。
「がああ！！」
　葵はたまらず声を上げて、その攻撃を仕掛けてきた人物を睨んだ。
「何するんだ楓！！」
「えー？だって姫ちゃんがとっても楽しそうだったから、あたしもやってみよっかなぁ……って」
「やらんでいい！！」
「ちぇ。つまーんなーいのー」
　楓は面白くなさそうに手をどける。
「まったく……お前がいけないんだぞ、姫子！」
　葵は２度も叩かれた手をぶらぶらと振りながら、姫子を睨んだ。
「はぁ……どうしてこうなるのかなぁ……」
　奈緒が呆れたように溜息をつく。
　結局過熱した百人一首は１時間近く続けられ、鈴歌が優勝した。