余興を終えた葵達は縁側を降りて庭へと出た。
　しらんでいた空は青空へと変わり、日も徐々に高くなり始めている。
「懐かしいよな……」
　物置から引っ張り出してきた長机を３つ並べ、その上に新聞を敷いた葵はポツリと呟いた。
「えっ？毎年ついてるんじゃないんですか？」
　鈴歌が不思議そうに尋ねる。
　葵は笑った。
「流石に毎年じゃないよ。餅つきなんて何年ぶりだろうな……」
　葵は杵を持って、懐かしい感触を確かめた。
　ズシリとした重みが、年季を感じさせる。
　懐かしさがこみ上げてきた。
「アレからもう随分経つのか……」
　葵は思わず空を見上げた。
　細く伸びた一筋の飛行機雲が、ゆっくりと流れ消えていく。
「お兄ちゃん……」
　萌も葵の言葉に思い当たるものがあるのか、彼の顔を見て感慨深げに呟く。
「あ、何々？アオちゃんも萌ちゃんも。何か面白いことあったの？」
　楓が興味深げに尋ねてきた。
「ああ、いやちょっと昔を思い出すなぁ、って思って」
　葵は言葉を濁しながら適当に答える。
「おまたせー」
　ちょうどタイミングよく姫子と奈緒がやってきた。
「もち米蒸しあがったから、持ってきたわよ」
　姫子はそう言って、草履を履き、木製の大きなせいろを持って外に出た。
　せいろの中にはホカホカに蒸しあがったばかりのもち米が入っており、白い湯気が温かそうに立ち昇っている。
「結構蒸したんだな……どれくらい蒸したんだ？」
「うーん……１升か２升かな？」
「１升！？」
　姫子の言葉を聞き、葵は目を丸くした。
　１升といえば米１０合分。１日４合もあれば、神津家の食卓では十分すぎるくらい足りてしまう。
「そんなに蒸かしたのか？……これだけあれば３日は困らないかもな……」
「今日一日で終わっちゃうかもしれないよ？」
　水の入ったボールを持った奈緒が、外に出る。
「確かに……」
　葵は横目で楓を見た。楓は無邪気に微笑んでいる。
「さ、準備も出来たことだし、始めましょうか？」
　姫子は張り切った様子で、長机の上に蒸篭を置いた。
「とりあえず……杵で餅をついて見たい人」
　葵がアンケートを取ると、奈緒を除く女子全員が手を挙げた。
「じゃあ、順番についてけばいいかな？奈緒、頼む」
「うん」
　奈緒は頷くと、ボールを机の上において、蒸籠から適量のもち米を木臼に移す。
「うわぁ……熱そうだな。水つけるとき大丈夫か？」
「大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ」
　葵は杵をおろし、力強くこね始めた。
「あれ？つかないんだ？」
　葵の動作を不思議そうに眺めていた姫子が葵に尋ねる。
「ああ。いきなりつくと餅にならないから。まずはこーやってこねて、つくための準備をするのさ」
「そうなんだ……お餅つくにも、いろいろコツが必要なんだね」
　楓がウンウン頷きながら、おもしろそうに葵のこねるもち米を眺める。
　このもち米をこねる作業と言うのは、つくよりもしんどいものがあった。
　しかし葵は、それでももち米をこねまくる。
　やがて米が柔らかくつぶれてきて、ネバネバとひとつになっていく。
「ホラ、だんだん餅っぽくなってきただろ？」
「本当ですね。これだけでもおいしそう」
　鈴歌が物珍しそうに眺めながら言った。
「ははは。確かに。でも餅にするともっとおいしくなるから。それじゃあ……」
　葵は少女達の顔を見回す。
「はい！！」
　真っ先に手を挙げたのは楓であった。
「それじゃあ」
　葵は杵を楓に渡した。
「頑張ってね、綾杉さん」
　奈緒は楓にエールを送ると、手に水をつけた。
「うん！！」
　楓は大きく杵を振りあげると、餅めがけて勢いよく振り下ろした。
　ペッタンと、大きな音を立てて杵がもち米の中にめり込む。
「お。なかなかいいじゃないか。その調子」
「うん！！……あれ？」
　葵のエールに楓はにっこりと微笑むが、杵が持ち上がらないことに顔をしかめた。
「どうした？」
「うん、ちょっとね……うーん……うーん……！」
　楓は顔を真っ赤にし、必死で杵を持ち上げる。
「綾杉さん、大丈夫？」
　心配そうに奈緒もその成り行きを見守る。
「うーん……なかなか……これが……うーん……！！」
　楓は力の限りを振り絞って、何とか杵を持ち上げた。
「ぜー……ぜー……ぜー……ぜー……」
　そして肩で息をする。
「大丈夫か？」
「だ、大丈夫……ううう？」
　楓はよろけながら、杵を落とすような感じで振り下ろす。
　それは奈緒の髪をかすめながらペッタンと、もち米の中へとめり込んだ。
「わわわ……」
　奈緒は青ざめながらぺたんとしりもちをつく。
「こら！！奈緒を殺す気か！？」
　葵は楓を睨みつけた。
「てへへ……ゴメン奈緒ちゃん。ちょっと手が滑っちゃった。アオちゃんもそんなに怒らないでよ」
　しかし楓は動じることなく、それとも事の重大さを理解してないのか、苦笑しながらマイペースな調子で奈緒に謝る。
「まったくしょうがない奴だな……大丈夫か？」
　葵は奈緒の手をとり、彼女を起こした。
「う、うん……すっごくビックリしちゃった」
　立ち上がった奈緒は引きつった笑顔を浮かべながらパンパンとお尻の辺りを掃う。
「ありがとうアオくん。ボク、ちょっと手を洗ってくるね」
　そして平静を装いながら、縁側から家の中へと入っていった。
「……で、次は誰がやるんだ？」
　葵はもち米の中にめり込んだ杵を持ち上げると、少女達の顔を見回した。
「…………」
「なんだ萌？どうしたんだ？」
「え、えっと……その……」
　萌は何か言いにくそうに、ごにょごにょと口ごもる。
　その視線の先には、しっかりと杵が見据えられていた。
「……やってみるか？」
　葵は杵の柄を萌に差し出す。
「うん！！」
　萌は大きく頷いた。
「それじゃあ、あたしが水つけるのやりますね」
　鈴歌は腕まくりをして、掌に水をつける。
「け、結構重たいんだね、これ」
「おいおい。大丈夫か？」
「う、うん」
　萌は危なっかしい態度で葵から杵を受け取ると、ふらふらした動作で杵を振り上げた。
「やっぱり危ないな」
　見かねた葵が背後から手を差し伸べ、一緒に杵を掴む。
「お兄ちゃん……」
　萌は頬を赤らめ恥ずかしそうに呟くと、杵を振り下ろした。
　ぺったん
　杵は弱々しい音を立ててもち米をつく。
「ほら、振り上げて」
「う、うん」
　萌は葵に促されるまま杵を振り上げると、再び振り下ろした。
　ぺったん、ぺったん
　餅をつく心地よい音が冬の寒い空気を伝わって大きく響き渡る。
「ふぅ……これ、結構疲れるね」
　数回ついたところで、早くも萌が音を上げた。
「それじゃあ、交代交代」
　鈴歌が待ってましたといわんばかりに次の搗き手を名乗り出る。
「はい、鈴歌ちゃん」
　萌に変わって鈴歌に杵を手渡した葵はその場から少し離れた。
　萌は腕まくりをして、水をつける態勢に入る。
「わっ？本当だ……結構重いんですね」
　鈴歌は萌ほどではないにしろ、それでもよろけた動作で杵を持ち上げた。
「鈴歌ちゃん、大丈夫？」
「は、はい……えーい」
　よろよろとよろめきながら危なっかしい動作で、鈴歌は杵を振り下ろす。
　ぺったん
　杵は弱々しい音を立てて餅をついた。
「う、うーん……」
　そして鈴歌は、再び杵を振り上げる。
「わ、わわわっ！！」
　しかし、鈴歌はバランスを崩して後ろに倒れそうになった。
「あっと！危ない！」
　慌てて葵が、鈴歌の後ろから抱きとめる。
「あっ……」
「まったく……張り切るのもいいけど、無理はよくないよ？怪我しないようにね？」
「は、はい……ありがとうございます、先輩」
　鈴歌は頬をほんのり赤く染めて小さな声で言うと、杵の高さを頭上から頭くらいの高さに下げて、ペタペタと餅をつく。
　葵は鈴歌の動作が安定するのを見るや、鈴歌から離れた。
　そして位置を移動し、二人の餅つきの様子を眺める。
　流石親友と言うことだけあって鈴歌と萌の呼吸はピッタリであった。
　楽しそうに餅をつく鈴歌。嬉しそうに水をつける萌。
　ペッタンペッタン
　心地よい音を刻みながら餅はつき続けられた。
　ペッタンと餅をつく少女、鈴歌と萌……
「まさにペッタン娘だな……」
「はぁ？」
「ああ、いやなんでもない」
　姫子に睨まれ、葵は慌てて口を噤んだ。
　うっかり考えてることを口に滑らしてしまったのだが、幸いなことに姫子にはよく聞き取れなかったらしい。
　葵は騒動の種を未然に刈り取ることが出来たと、ホッと心の中で溜息をついた。
　やがて鈴歌は杵を臼の上において、肩をグルグルと回した。
「結構疲れますね、これ。あたし、もう限界です」
「それじゃあ、次はいよいよ真打登場ってわけね」
　姫子が軽く手をぶらぶらさせ、杵を持った。
「お待たせー」
　タイミングよく奈緒が戻ってくる。
「惜しい……紅林先輩がもうちょっと遅ければ、葵に水つける役をやってもらって天誅することができたのに……」
　姫子は心底悔しそうにチッと舌打ちをするが、すぐさま笑顔になって奈緒を見た。
「それじゃあ紅林先輩、お願いしまーす」
「うん！」
「えい！よいしょ！！」
　姫子は杵を振り上げると、餅に向かって勢いよく振り下ろした。
　ペッタン！！
　心地いい音を響かせながらもち米が搗かれる。
　姫子が杵を振り上げると同時に、奈緒がさっと水をつける。
「よいしょ！！」
　そして奈緒がさっと手をどけるのと同時に、姫子は再び杵を振り下ろした。
　ペッタン！！
　姫子と奈緒も、萌と鈴歌に負けないくらい、息のあったところを見せる。
　しかし数回も続けると、疲れたのか姫子は杵を臼の上へと横たえた。
「ふぅ。やっぱりこーゆー力仕事は、葵に任せるわ」
　そして縁側に腰掛けパタパタと手で自分の顔を仰ぐ。
「はいはい」
　葵は杵を取ると、勢いよく杵を振り上げた。
　そして豪快な動作で餅をつく。
　ぺったん！！
　音を立てて杵が餅米の中へとはいりこむや、くっつかないようにすぐに振り上げる。
　入れかわりに奈緒が水をつける。
　ペッタン、ペッタン！！
　餅つきというのは基本的に同じ動作の繰り返しではあるのだが、葵と奈緒は呼吸のあったところを見せて餅を搗き続けた。
「アオくん、早く早く！！」
　奈緒ははしゃぎながらもっとスピードを上げろと葵に要求してくる。
　その表情はとても楽しそうなものであった。
　ペッタンペッタン
　もち米は、心地よい音を立てながら餅へと姿を変えていく。