その夜。
　真人は一人、机に向かい合っていた。
　カメラから抜き取ったSDカードをノートPCにセットし、バックアップフォルダへと撮影した写真をコピーする。
「ふぅ……これでよし、っと」
　バックアップ作業が終わると、撮影した写真をPCの画面上に展開した。
　雪化粧が施された十勇駅。
　沢井駅で連結される電気機関車。
　連結する間、暖を求めて立ち食いそばを食べる人々。
　松川駅で切り離される電気機関車。
　ホームで駅弁を売り歩く駅弁売りのおじさん。
　湯気が立ち上る山中駅の立ち食いそば屋。
　豪雪に埋もれ、雪達磨が2体作られている白雪駅。
　これらの光景の一部がもうすぐ見られなくなると思うと、寂しさがこみ上げてくる。
　真人は立ち上がると、窓に掛かっていたカーテンを開けた。
　既に外は暗闇に染まっており、風がビュウビュウと音を立てて吹いている。
　真人は窓を開けた。
　肌を突き刺すような冷気と雪を伴った風が容赦なく真人に吹き付けてくる。
　ピリッとした痛み。
　しかし真人は、構わず外の景色を眺めた。
　闇で染まって何も見えない。
　まるで虚無のようであった。

　コンコン

　不意に、ドアをノックする音が聞こえた。
　真人は慌てて窓を閉め、鍵を閉め、カーテンを閉めると、椅子へと座る。
　そして一呼吸を置き、声をかけた。
「どうぞ」
　やや間を置いて、ガチャリと戸が開かれる。
　そして現れたのは、手にウサギのぬいぐるみを持った、パジャマ姿の香帆であった。
　ツインテールの髪は、ストレートに変わっている。
「どうしたんだ？」
「真人、一緒に寝よ〜」
　香帆は屈託のない笑顔を浮かべながら、とんでもないことを口走った。
「はぁ？」
　予期せぬ言葉に、真人も思わず素っ頓狂な声を上げる。
「なんで？どうして？」
「いろいろお話聞きたいから〜」
　真人の疑問に、香帆は即答する。
「ダメ。却下」
　真人は即答した。
　芹里香でも、一緒に寝ようだなんてねだってくることはない。
「え〜っ？なんで〜？」
　しかし香帆は、真人の返答に不満げな声を上げた。
「お姉ちゃんはいつも一緒に寝てる時、いろいろお話ししてくれるよ？」
「姉さんが？」
　真人はその光景を思い浮かべた。
（姉さんは優しいな……）
　フッと笑う。
「だったら、姉さんと一緒に寝ればいいんじゃないか？」
　真人はもっともなことを口にした。
　香帆の面倒を見るとお願いされたのは理沙だ。
　真人が面倒を見る筋合いはない。
「ヤダヤダヤダー！あたしは真人の話が聞きたいのー！」
　しかし香帆は駄々をこねると、床に座り込んだ。
「真人がうんって言ってくれるまで、ここを動かないもん！」
「…………」
　真人は閉口するしかなかった。
　泣く子と地頭には勝てない。
　古人の格言であるが、まさにその通りだと痛感せざるをえない。
　もっとも、香帆は泣いているわけではなく、駄々をこねているだけではあるが……
　仮に真人が拒否したところで、香帆は絶対に動かないだろう。
　真人は大きくため息をついた。
「わかったわかった。一緒に寝てやるから」
「本当！？やったー！！」
　香帆は喜びの声を上げて立ち上がると、すぐさまベッドに潜り込む。
「本当にしょうがない奴だな……」
　真人は呆れながらため息をつくと、ノートPCをシャットダウンし、閉じた。
　そしてSDカードをカメラへと戻し、カメラをケースに収納する。
　それから電気をオレンジ色の光にして、香帆の横に寝た。
　香帆から石けんのいい香りが漂ってくる。
　真人は布団を掛けると、香帆に尋ねた。
「で、どんな話をしたらいいんだ？」
「うんとね、真人が興味のあるお話」
「俺の興味のある話？」
「うん！」
　香帆はコクンと頷く。
「そうだなぁ……」
　真人は思案を巡らせると、おもむろに口を開いた。
「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」
「う〜っ！」
　途端に香帆のパンチが真人の胸に飛んでくる。
「あたしが聞きたいのはそういうのじゃないもん！」
「わかったわかった」
　真人は苦笑しつつ、香帆に質問する。
「姉さんとはいつもどんな話をしてるんだ？」
「お姉ちゃんと？」
　香帆は少し考え込む。そしてすぐさま口を開いた。
「うんとね！新幹線のお話！」
「えっ？」
　香帆の言葉に、真人は戸惑いを覚える。
「さっきもお風呂で、お姉ちゃんと新幹線のお話ししてたよ！早く開通するといいねって！」
「そうか……」
　真人は寂しく笑うと、香帆の頭を優しく撫でた。
　自分のように開通に反対する者もいれば、香帆や理沙のように開通を楽しみにしている者もいる。
「あのね、古閑君。反対するのはいいけど、もっと大きな視点で物事を考えなくちゃダメよ？」
　以前、紗奈枝に言われた台詞が、何度も頭の中でエコーする。
（それでも俺は……）
「それじゃあ、特急あさみねの話をしてやろう。特急あさみねは真田から平野まで運転されている特急だが、場合によっては真田から先の上江津まで行く場合があって……ん？」
　そこで真人は、語るのを止めた。
　スースーと、小さな寝息が聞こえてくる。
「本当にお子様はしょうがないな」
　真人は苦笑すると、香帆の頭を撫でるのを止めた。
　そして宙を見上げる。
「新幹線が楽しみ……か……」
　真人はそれだけ呟くと、瞳を閉じた。
　そしていつしか夢の中へと堕ちていった。