優希と流水音はスケッチブックを片手に森の中に来ていた。
　目に染みる緑の中から木漏れ日が差しこんで、より一層緑が映える。
「ホントにのどかなところね、ここって」
「そうですね。なんだかいつもと違って新鮮な感じがします」
「それじゃあ早速始めよっか」
「はい！」
　優希はスケッチブックをとりだし、手ごろな木の切り株の上に腰掛けると、鉛筆を走らせ始めた。
　流水音も同様にスケッチを始める。
　二人が取り組んでいるのは風景画であった。
　別に美術部の課題と言うわけではないのだが、画力アップも兼ねて旅行すると決めた時からスケッチすることは決まっていた。
　風景というのは場所、時間、また見る人の気分によって違ってくる。
　写生というのはただ写すだけではダメで、それを如何に上手く表現できるかが描き手の腕の見せ所である。
　二人とも真剣になって白紙のスケッチブックにそれぞれの風景を描きこんでいく。
　森の息吹、風の声、太陽の輝き、そして己の想い。
　時折風の音や動物の鳴き声が聞こえるだけで、それ以外は鉛筆を動かす音しか聞こえない。
　やがて２時間くらい経過して、流水音が鉛筆を置いた。
「うーん、終わったぁ〜。優希ちゃんはどう？」
「あっ、はい。私ももうすぐ終わります」
「あっ、いいよいいよ。ゆっくり描いてて」
　流水音は立ち上がると手をかざしながら空を見上げた。
　空の青に溶けこむようで、森の緑がよく映えている。
「優希ちゃん、あたし違う場所も描いて見ようと思うんだけど……いっかな？」
「あっ、はい。私のことは気にしなくっていいですから。鈴科先輩、いってらっしゃい」
「そう？それじゃあ行ってくるね」
　流水音は優希にそう言って、森の奥へと進んで行った。
　一人になった優希は集中力がとぎれることなく、再びスケッチに没頭した。
　そしてそれから間もなく、優希も鉛筆を止めて、自分の描いた絵を見た。
　それは自分でも驚くくらい素直に、かつうまく描けていた風景画のスケッチであった。
「鈴科先輩にも後で見てもらおっと」
　優希は嬉しそうに微笑んでスケッチブックを閉じると、それをギュッと抱きしめた。
「さて……っと。私はこれからどうしよっかな……」
　いろいろ考えた末、優希はとりあえずいったん宿の方へと戻ることにした。
　優希は立ち上がると流水音とは反対方向、来た道を戻り始めた。
　せっかく見知らぬ土地に来たので、他にもいろいろとみてまわりたかった、というのがあった。
　森を抜け出ると、一面に牧草地が広がっていた。
　木柵で囲まれた正方形の中に、馬がのんびりと牧草を食べている光景が目に飛び込んでくる。
「こーゆー風景もいいなぁ……今度はこれをスケッチしよっかな……」
　優希はそんなことを考えながら眺めていた。
　と、その時ドドドと言う力強い蹄の音と共に何かが優希に近づいてきた。
　驚いた優希がはっと振り返ると、そこには白い毛並みの綺麗な体格のがっしりした馬と、それに乗ったエリザがいた。
「あら？どうしたの舞波さん？」
「あっ、エリザ先生」
　優希は思わずペコリと頭を下げてしまった。
　鞍上のエリザはウフフと笑っている。
「その馬、どうしたんですか？」
「この馬？アイナの牧場で飼育してる馬よ」
「えっ？そうなんですか？」
「ええ。舞波さんも乗馬、してみる？」
「い、いえ、私はとてもそんな！！」
「そうなの？」
　エリザは馬の首筋をぽんぽんと叩いた。
「このクロフネ、結構乗りやすいから舞波さんにもオススメかな、って思ったんだけど」
「えっ？クロフネ、ですか？」
「そうよ。変な名前でしょ？」
　そう言ってエリザは笑った。
「真っ白い毛色なのにクロフネっていう名前なんだもん。シロフネって名前にすればよかったのに、アイナったら黒船が好きだからこの名前つけたんだって」
「そうですか……」
　自分の守護精霊のツチノコに『ぽち』という名前をつけている優希にとっては、アイナの気持ちがなんとなくわかるような気がした。ちなみにそのぽちは、普段優希が装備している大鎌と一緒に舞波家にてお留守番しているのだが。
「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。あなたも自分の時間を存分に楽しみなさい」
「は、はい！」
　エリザは満足そうに頷くと、掛け声とともに馬の腹を蹴った。
　その馬は白い馬体を陽の光に輝かせながら疾走していった。
「かっこいいなぁ……」
　優希はその様子を羨ましい想いで眺めていた。
「あっ、優希さん」
　すると今度は七衣が入れ違いにやってきた。
　しかも牛に乗って。
「き、霧城先輩？」
　流石にこれには優希もびっくりして、目を丸くしてしまった。
　しかし七衣はご満悦といった様子で、気にする様子はまったくない。
「やっぱりぃ、私にはこーゆーの〜んびりした、動物さんの方があってますぅ〜」
「そ、そうなんですか？でも、なんで牛なんかに？」
「えっとぉ、それはですねぇ……」
「それは？」
「秘密ですぅ〜」
　七衣は人差し指を口元に当てた。
「秘密、なんですか？」
「本当はぁ、同人誌用のネタになるかなぁ、って思って乗ってるんですけどねぇ」
「それ、全然秘密じゃないような……」
「まぁ、何事も経験ですぅ〜……あっ、そうだぁ」
　七衣は何かを思い出したように首からさげていた木箱の蓋を開けると、中から牛乳瓶を取り出して優希に渡した。
「採れ採れの牛乳ですぅ〜。よかったら飲んで見てくださいねぇ」
「えっ？でも……いいんですか？」
「いいんですぅ。とぉってもおいしいんですからぁ」
「それじゃあ、いただきます。霧城先輩、ありがとうございます！」
「どういたしましてぇ」
　七衣はニッコリ微笑むと、牛に指示をだした。
「はいよぉ、シルバー」
　そして牛はのそっ、のそっとゆっくりした足取りで戻っていく。
「絞りたての牛乳かぁ……」
　優希は木柵に腰掛けると、七衣から受け取った牛乳瓶を眺めた。
　牛乳はよく飲んでいる優希であったが、絞りたてというのは一回も飲んだことがない。つまり初体験である。
「そう言えば……」
　優希は旅館までの道中交わされたエリザ達とのやり取りや、旅館の女将、アイナのことを思いだした。
（ひょっとして、この牛乳飲めばアイナさんやエリザ先生のように胸がおっきくなるかなぁ？）
　優希は牛乳瓶のキャップを開けた。
　そして一口、口の中に流しこむ。
　それは今まで味わったことのない、とても濃い味であった。
「なにこれ……絞りたての牛乳って、こんなに味が濃いんだ……」
　優希の知ってる牛乳の味は、これから比べれば物凄く薄められたものであった。
　味、風味ともに格段に落ちる。
　優希はゴクゴクッと勢いよく牛乳を飲んだ。
　そして牛乳瓶が空になると、着ているオーバーオールの上から胸を触って見た。
（少しはおっきくなったかなぁ？）
「あれぇ？なにしてるの優希ちゃん？」
　そこへ流水音が現れた。
「あっ、す、鈴科先輩！！」
　とっさの出来事に、優希は顔を赤らめながら固まってしまう。
　流水音は最初は「？」という表情を浮かべていたが、やがて状況を理解すると、ニヤニヤと薄笑いを浮かべた。
「はは〜ん……なるほどなるほど……」
「え、えっと、これは、その……」
「まあまあ、気にしない気にしない。優希ちゃんの胸だって、そのうちおっきくなるわよ」
　そして流水音は優希の肩をぽんぽんと叩いた。
「どうせならもう一本いっとく？」
「えっ？」
「じゃじゃーん。実はあたしも持ってるんだ」
　流水音はそう言いながら手提げ鞄の中から牛乳瓶を取りだした。
「ゴメンね優希ちゃん。からかったりしちゃって。実はさっき、配達屋の七衣ちゃんから沢山貰ったんだ」
「そ、そうだったんですか？」
「うん。すっごくおいしかったから、あたしなんかもう三本飲んじゃったけどね」
　流水音はペロっと舌を出した。
「それで、飲む？」
「は、はい。いただきます」
　優希はそれを恥ずかしそうに受け取ると、ゴクゴクッと飲み干した。